【MMAする世界】格闘家の弱さについて

Roland Barthes vs. Mixed Martial Arts (Walrus Blogs)

The Walrusという評論系サイトが、ロラン・バルトの「レッスルする世界」をテキストに、MMAを読み解いたエッセイを掲載しています。

バルトは、プロレスとは結果の問題なのではなく、そこからしみ出してくる、正義や苦しみと言ったテーマが重要なのであって、観客はそれを見たいのだと論じています。

観衆は闘争が八百長かどうかを知るなど全くどうでもいいのだ。そして彼等が正しいのだ。観衆はこの見せ物の第一の美点に身を委ねる。それは動機も結果も全て廃絶することにある。大事なのは観衆が信じるものではなく、観衆が見るものなのだ。(バルト[1967]P5~6)

ボクシングにも演劇的要素は有りえ、その頂点はモハメド・アリで、リング上でドラマを紡ぎ、それをファイトスタイルに融合させることが出来る人でした。しかし一般に、娯楽的要素は勝利のためにはリスキーなことです。MMAではなおのこと、そうでしょう。

とはいえ、MMAが、テクニカルを知らない大衆を引きつけ、単なる野蛮な見せ物という風評を一掃するには、試合の外でのドラマを書く必要はあるでしょう。これまでUFCはこの点についてはうまくやっているとは言えません。それは、アリのような大スターが生まれていないせいでもあり、ドラマになりそうな要素を全てリアルなものとして売ってしまうせいでもあります。全ての人を等身大以上に掲げれば、誰も等身大以上ではなくなってしまうのです。

プロレスにおけるキャラクターの作り方として、バルトは次のように述べています。

例えばトオヴァンというレスラーは≪げす野郎≫の記号として過度の意味表象を行う。彼の肉体は「卑猥でよぼよぼした五十男で、その一種の無性別的な醜悪さが常に女性的な渾名を思いつかせ、その肉の中に下劣な奴の諸特性」(バルト[1967]P7)を持っている。

アイスマン・チャック・リデル、ナチュラル・ランディ・クートゥアといったギミックは、大衆の想像力をつかみ取るには至っていません(つまり、まだ過度の意味表彰になっていません)。そこそこ可能性があるのは The Ultimate Fighter リアリティ・ショーで、「アメリカン・アイドル」的な意味のみにおいて魅惑的であり、一部の若い男性層をボクシングから奪い取ることには成功しています。

 リングの上で、その自発的な下劣さのどん底そのものでレスラーたちは神々である。なぜなら、彼等は何秒かの間、自然を開く鍵であり、善を悪からへだて、ついに明らかとなった正義というものの様相を露にする身振りだからである。(バルト[1967]P18)

ではいったい、MMAにおいては選手はなぜ戦っているのでしょうか。

私の見たところ、単に好きだからとか、得意だからというだけではなく、それが彼らのやりたいことの道具・方法だからなのでしょう。自分自身がすばらしい存在であり、それを他者に見せつけること。

そのためには別に神になる必要はありません。もっと単純なこと、たとえば、自分たちは普通はあり得ないようなことに耐えられるとか、実像よりもいい男に見えるとか、多くの人がなしえない水準の熟練を達成できる、といったことを行えばいい。我々が書いたり、編集したり、編み物をしたり、子供を育てるのとおなじことなのです。選手にとってはリングがその道具だったわけです。MMAが白い目をぬぐい去るには、パワフルでリアルなドラマを携えた誰かが登場する必要があるでしょう。



テツガク系は明らかに僕にとって不得意な分野なんだけど、それでもハハーンと感じるところはあって、ちんぷんかんぷんかもしれないけど。

つまり、MMAにおいて煽り映像が非常に効果的で、プロレスではそうでもない、というのは、MMAのドラマは小さくて、リアルだからなんだなあ、と思うわけです。たとえば石田が1年間部屋にこもっていた、というのはOKだけど、天山が本当に何を考えているかというのは、知ってしまうと「それを言っちゃあおしまいよ」という気がするし、かえって試合を見るのに邪魔になるかもしれない。プロレスがみせたいものは、そういうものではないからでしょう。そもそもアントニオ猪木と猪木寛二はまるで別人だ。

で、その小さくてリアルなドラマ、というのは、MMA選手の「男の子っぽさ」ではないのだろうかと思うんですね。個人的なんですよ。弱さと言っても良いのかもしれない。佐藤大輔に秋山の煽りVを作って欲しいと思うのは、秋山がどういうモチベーションの人なのか、どういう男なのかを知りたいからであって、そこで秋山の母ちゃんを描いたのではピンと来ないわけだ。アンドレ・ジダのアディダス・ストーリーはなかなかグッと来るけれども、マイティ・モーが親戚を何人養っているかというのはわりにどうでもいい。それも一部ありなんだけど、不足なんですね。男の役割をしりたいのではないね。そういうのは、ある年齢になると、もううんざりだ。

UFCには煽り映像はないけれども、たとえば雑誌インタビューなどでヘンゾ・グレイシーやマット・ヒューズがふとかいま見せる男の子っぽさや弱さは、本当はすごく良いドラマになるんだと思う。佐藤大輔に映像化してほしいもん。クートゥアが試合に勝った直後にセコンドの方を向いて見せるホッとしたような笑顔なんて、普通の疲れたジジイそのもので、超しびれるし。

必ずしも煽り映像というフォーマットでなくても良いのかもしれないけれども、なにかそういう、選手個々のアドレッセンスとかフラジリティをうまく描いて伝えていくことは、MMAおよび関連業界のマーケティングの本質の一つなのかもしれませんね。たとえば三崎の数々の不可解な発言について、格闘技マスコミなんかでは「それは実際の所どういう意味だったのか」というエクスキューズの方に行きがちだけど、そうじゃなくて、「三崎ってなにをきっかけにこうなったか」を知る方が、ドラマになるのではないかということですね。

*****

今日はちょっとK-1を見る時間はないな。明日以降楽しみに見ます。情報遮断できるかな。

ちなみに今日のYahoo!のトップニュースにはプロレス関係が2題。

猪木“ぶってぶって姫”にお仕置き(デイリースポーツ)

インリンさんがハッスル初登場「公私共にハッスルしていきます」と順調交際報告(スポーツナビ)

賑やかで結構なことです。よくもわるくも、これが世間のニーズなんだろうねえ。

IGFのPPVは今回始めて買わず。IGFは独特の世界観があって、価値判断が難しいんだけど、やっぱりちょっと素人仕事すぎるよなあ。こなれてくる、っていうことがないんだよ。報道によれば満員だったそうだし、1億円の刀も出たそうだから、もう、参加者意識を持って金を払う必要もないでしょう。SAMURAIでの放送の可能性を待ちます。

スポンサーサイト

トラックバック

煽りとは何か?

JUGEMテーマ:スポーツ  PRIDE茨城勢あらためDREAM氏ね氏ね団  (本文とはまるで関係ありません)

毎週更新!

Ad

Ad

MMA Update