ジョシュ・バーネットのセンセイ

Years Later, Josh Barnett Still Carries Lessons From His First Teacher (Ben Fowlkes, MMA Fighting)

ジョシュ・バーネットがジム・ハリソンの名前を知ったのは、ジョシュがまだモンタナ大学の学生で、進路を決めかねていた頃のことだった。誰かに紹介されたわけでもない。むしろ、おまえにはハリソンなら気が合うんじゃない、もうあっち行ってくれよ、という感じの方が近かった。

バーネットは振り返る。「大学の普通の勉強を一応やっていたが。何がしたいのか、自分でもはっきりとは分からなかった。ただ、とにかく格闘技をやってみたいとは思っていた。UFC4を見て、それだけは決めていた。いつのことだったか、なにがきっかけだったかも覚えていないんだが、とにかく実現に向けて動くことにしたんだ」

大学のあるモンタナに来る前、バーネットはワシントンの自宅で、レスリングとキックボクシングをほんの少しかじっていた。でも、田舎町ミズーラには格闘技関係者は誰もいなかったし、大学のマーシャルアーツクラブには,バーネットほど真剣な者などいなかった。

ハリソンの記憶も同様だ。「バーネットは誰よりも行儀が悪かった。そこで、モンタナ大学のインストラクターが、おまえはあの野蛮人のハリソンのところで練習してはどうかと言ったらしい。笑えるよな。」

75歳のハリソンには、いまでも毎晩、ミズーラ南部の丘陵部にの地下にある「サクラ・ウォリアー・アーツ」で会うことが出来る。ヒザの手術をしてから、昔のように動けなくはなった。顔には何年分もの傷跡があり、机の上に手を置くと、節くれ立った指があらぬ方向を向いてしまう。

サクラは小さなジムで、立て付けは日本風だ。正面ドアの内側には、黄ばんだ張り紙に「ジョシュ・バーネット、おめでとう」と書いてある。2002年、バーネットがランディ・クートゥアを下してヘビー級タイトルを獲得したときに、ハリソンが地元紙に掲載した新聞広告だ。



バーネットが1996年にこのジムの扉を叩いた頃までに、ハリソンは普通の人の何回分もの人生を送ってきていた。第2次世界大戦中のカリフォルニア州で、子供だったハリソンは,柔道のデモンストレーションを見学する。小さな女の子が、大きなお兄さんをマットに投げつけているのをみたとき、ハリソンは、この女の子が知っていることをすべて学びとってやろうと心に決めた。

「あちこちの道場を訪ね歩いたが、どこに行っても、白人はお断りと言われたよ」とハリソンは笑う。戦争中、ハリソンの家族は工場仕事を求めて引っ越しを繰り返したが、ハリソンはそのたびに、地元のYMCAで、なにか新しい格闘技を学ぶことにしていた。指導者たちも、ベテランというわけではなかった。アメリカ政府に抑留され、あちこちに移動させられていた日本人から、柔道を学んだり、ときには本を見て空手を学んだりしていたのだ。学んだと思いこんでいるだけのこともあったし、写真のまねをしているだけということもあった。

「ある日、大男が道場にやってきて、カラテを出来る人はいるかね,と言うんだ。そこで僕らは答えた。そりゃ無理です。だいたい、ちゃんとした言い方すらしらなかった。ケーラテだと思っていました。本ではそう見えたから!」

ハリソンはやがて、セントルイスのあるジムで落ち着くが、そこでブラックベルトを授与される条件として、バイク野郎が集うバーの仕事の手伝いを命じられたという。ヘッドインストラクターがそのバーのバウンサーだったのである。ハリソンはそこで、格闘技術を実践することを学んだ。

「考えてみてくれよ。俺はたかだか19歳で、やせ細っていて、そんなやつがバイク野郎のテーブルに歩いて行って、静かにするように言わないといけないんだよ。そのうちに覚えたさ。まず2人を、出来るだけ早いうちに殴っておくんだ。そして、他のバウンサーが駆けつけてくれることを祈るのさ」

やがて、格闘技技術を買われて、ハリソンはセントルイス市長のボディガードを務め、これをきっかけに、警察の特別重罪犯逮捕チームの一員となる・・・ハリソンはあるとき、危険な容疑者を逮捕するために同僚とともに現場に向かった。とあるバーに潜伏しているとの話だったが、捜索してみてもどこにもいない。ハリソンはトイレをチェックしに行った。そしてハリソンがトイレのドアノブに手を触れたとき、45口径の弾丸4発がドアを突き破って彼の胸に命中した。

吹っ飛ばされたハリソンは背後の壁に打ち付けられた。さらに4発の弾丸が放たれ、ズルズルと沈んでいくハリソンの頭の上を通過した。流血して倒れ込んでいたとき、第二の容疑者がとどめを刺しに来た姿がぼんやりと見えた。

「携帯していた38口径には手が届かなかったが、ケツに25口径をつっこんでいた。そこでその男をぼんやりと認めたとき、喉と右目をぶち抜いてやったんだ」

もう一人の容疑者は裏口から逃走しようとしたところを、ハリソンのパートナーに射殺された。救急医が現場に着いた頃には、ハリソンは臨死を体験していた。

「幽体離脱を経験したんだ。みんなが俺の面倒を見ているところを、上から見下ろしていた。ヤツらは、この警官はおしまいだ。遺体安置所に運ぼう、とか言っていた。俺は上から、おいおい、俺はまだ死んじゃいないぜバカ野郎と言おうとしたが、もちろん言葉は出なかった。」

のちにハリソンは病院で目覚める。元気いっぱいとはいかなかったが、なんとか生きていたよ、と語っている。

その後、ハリソンは,アメリカン・フルコンタクト空手の「血と根性の時代」に悪名をとどろかせる。空手のナショナル・チャンピオンに3度輝き、ミズーラでジムを開く前には、キックボクシングでライトヘビー級のチャンピオンにもなった。ちょうどその頃、バーネットと出会ったのである。

「最初の日から、バーネットとは本当に気があった」とハリソンは語っている。「バーネットは見学しに来たんだが、そのあと俺の所に来て、参加費用を払えない、窓ふきでもモップがけでもトイレ掃除でも、なんでもやるから、練習させてくれ、と言ってきたんだ」

ハリソンはバーネットに「出来る限り」の練習を付けてやった。冬休みに実家に戻ったバーネットは、シアトルのAMCパンクラチオン経由で,初めてのMMAの試合のオファーを受けた。経験はまだまだ足りなかったが、リアネイキッドチョークで勝利を収め、多少の注目を浴びることとなる。

「大学に戻ると、いつ何時、誰とでも戦うようになった。もちろん、同意を得てから戦ったんだよ。基本的には素手だった」大学のジムには古いマットが引いてあった。屋内のバスケットボールのコートの隣で、本来は柔道クラブが使う場所だ。

「僕はそこに陣取って、そのマットの上でいろんなヤツと戦った。バスケットをしていたヤツらも、僕の試合をじっと見ていたよ。驚いたことに、誰にも何も文句を言われなかった。ふたりの男が相手を持ち上げては叩きつけ、後頭部に垂直エルボーを落としあっているというのに、誰もそのことを深く考えることはなかったようだった。僕はとにかく、出来るだけたくさん実戦経験を積みたかったんだ」

大学に戦うべき相手がどんどん減っていき、試合のオファーがだんだんと増えてきたころ、バーネットは転換期に立った。ハリソンは、リアルなプロのファイターになりたいのなら、プロ選手と練習しないといけない、シアトルのマット・ヒュームの所に行けと命じ、ジョシュはそのアドバイスを受け入れた。

バーネットは言う。「同じ志を持った人たちと一緒にいて、技術を学んだり、いろんな人脈を作りなさいと言うことだった。そんな風に背中を押してもらって、シアトルでの練習を開始したんだ」

新しいジムで、バーネットのトレーニングとプロ選手としてのキャリアはレベルアップした。プロとしての最初の年に、ジョシュは3連勝を記録したが、サクラで学んだことは今でも忘れていないという。

「ハリソン先生はファイターとしての自分に大きな影響を与えた。トレーニングや試合中の、メンタル面のことなんだ。集中力を持つこと、そして、言葉は悪いけど、ある意味卑怯であること。先生はみんなに恐れられた男、僕が本当に尊敬する男なんだよ」

ハリソンもバーネットのキャリアは出来る限り追いかけている。ただ、ハリソンは「コンピューターについてはまるで無知」で、いまでも「のろしを上げたり、早馬を出したりするんだ」と冗談めかす。

ハリソンはバーネットの良いときも悪いときも見てきた。クートゥアに勝った後、ステロイドテストに失格したことについては、ハリソンは自分にも責任があったと言い張っている。

「教え子にはDHEAのサプリメントを飲ませていた。あれはステロイドテストで陽性に出ることがあるんだが、当時はそんなこと知らなかったんだ」

最近、バーネットとハリソンは再会を果たしている。バーネットが友達の結婚式でミズーラに立ち寄ったのだ。「長い間戻っていなかったし、その間いろんなことがあったから、特別な気持ちになったよ」とバーネットは語っている。

夕食の席で、ハリソンがバーネットに聞きたかったことと言えば、PRIDEでのミルコ・クロコップとの2度目の試合のことだった。

「ジョシュは俺を見て、わかるだろ、っていうんだ。わかるけど、チャンと説明しなさいと言ったら、肩の負傷明けだったし、ハードなトレーニング明けだったし、調整試合もしなかったから、あんな風にやられちゃったんだと言うんだ」

今でもセンセイのハリソンとしては,教え子を諭さずにはいられなかった。

「調整試合もしないでああいう試合を受けてはいけないんだ。いいか、ダメなんだぞ」

バーネットは今週土曜日、シンシナティでのヘビー級GP に出場する(訳注:これはハリトーノフ戦前の記事である)。ハリソンはこの試合を「テレビ屋に押し入ってでも」見るとしている。

これからバーネットのキャリアがどうなろうとも、ハリソンは、ジョシュの成長に一役を買ったことを誇りにしている。弟子たちが、「人間性と野蛮さの塩梅をとること」という自分の教えを覚えていてくれればそれで良いという。

「弟子にはいつも言い聞かせているんだ。もし君らがそんなに強いなら、そのことを自分で言いふらして歩く必要はないんだ。人に語らせればいいんだよ」

Jim "Ronin" Harrison's Sakura Warrior Arts




ダニエル・コーミエの右手の負傷は、精密検査の結果、「6~8週間の安静」という診断となった。ヘビー級GP決勝は2012年の第一四半期とされているので、怪我を治してから、バーネット戦に向けてキャンプを張る時間は十分にありそうだとのことである。 USA Today




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