前田インタビューに釣られてみる


 ロジャー・フエルタの消息を MMA Fighting が伝えている。昨年エディ・アルバレスに敗戦したあと、行き詰まり感から脱すべく、アメリカを後にしてタイに渡った。


「片道切符だけを頼りに、何がどうなるかも分からない出立だった。計画も持ち物も、何もなかったんだ。」

タイに来るとき、フエルタはオーストラリアに立ち寄った。そのとき、航空会社がフエルタのスーツケースを紛失してしまい、フエルタは文字通り、何も持たずにタイに到着した。

荷物を無くしてしまう男というのが何を象徴しているのか、当時のフエルタにはまるで分からなかったのだが、やがてその意味が見えてくることになる。1ヶ月後、フエルタは航空会社に電話して、紛失した荷物について何度目かのクレームを入れていた。そのとき、ストレートで殴られたような啓示が見えた。

「電話の相手を怒鳴りつけてながら、歩いて外に出てみた。そしたら外の世界は本当にすごかった。ものすごく美しかったんだ。僕は電話を切った。俺は何をしているんだ?荷物はもう無いんだ。そして、こんなに素晴らしい場所で、物質的なことにとらわれて、ずっと時間とエネルギーを無駄にしていたことに気がついたんだ」

「それが再スタートのきっかけになったよ」とフエルタは話している。「オーケー、僕は楽園にいる。楽しめばいい。今を生きれば良いんだ」

フエルタにとって、この旅は格闘技とは関係なかった。実際、アルバレスに負けた後、フエルタは引退することも考えた。それより、周囲の人たちや物事と、もつれてしまった自分自身を解き放ち、本当に必要なことは何であるのかを見定める旅だったのである。

タイを散策し、いろんな生活様式を眺めるにつれ、フエルタは自分の人生を振り返るようになった。子供の頃の苦しい環境は有名である。親から捨てられ、6年生でホームレスを経験、なんとか高校・大学へと進み、順調にUFCでスポットライトを浴びる。24歳でスポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾る。全てがくらくらするような経験だったが、UFCを離れベラトールに移ることには、燃え尽きと自己不信にさいなまされていた。

「あいつは気でも狂ったのかと思った人もいたみたいだが、僕はなんとか、ものごとを理解しようとしていたんだ。文字通りのゼロからのスタートで、突然いろんなことがいっぺんに起きた。みんなが僕にアドバイスを求めてきたりもしたが、僕だってまだ子供で、いろいろ勉強中で、何も分からないよと答えていた。そんなことはない、あなたは成功者だ、どうすればそんなふうになれるんですかと聞かれ続けた。」

「そんな中で、僕自身もいろんなことを疑い始めた。周囲の人たちも、人生そのものも。僕の天職は一体何なんだ?そんな状態だったんだ」
                                ♪

フエルタは現在、プーケットに居を構え、11年契約で場所を借りて、現地でMMAジムを運営しているという。11月には Ultimate Warrior Fighting というプロモーションの大会で、ウォーマシンとの対戦が決まっている。UFC時代には、なかなかにハンサムで絵になる選手で、ハートあふれるファイトを見せてくれていたので、調子が戻っておれば、日本でも人気が出そうな気のする選手ではないかという気もする。ライト級の選手だが、ウォーマシン戦でははじめてウエルターでやってみるそうだ。




「噂の三面記事」を買いに書店に行ったら、「プロレス復興支援MOOK」も隣に並んでいたので、前田インタビューは立ち読みさせてもらいました。どっちを買うか、結構迷いましたよ(笑)。

話題の前田インタビューはたとえば「見えない道場本舗」さんで紹介されている。アウサイはまったくついていけていないのだが、僕は長年の前田信者なので、前田の言動はついつい、ちゃんとしたまっとうな意味があるはずだと、いいように考えてしまう。それでもこの大放言にはちょっと戸惑う・・・こういうモードのスイッチも持っている人なんだろうとは思うんだけれど、さすがにちょっと、品がない・・・

所のマネジメントについては、内藤を殴る云々は別としても(格闘家なら殴られる方が悪いって、前田さん・・・)、ああなるほど、それでたしかにここ2試合ばかり、所のファイトスタイルがあきらかに変わったように見えたんだなと腑に落ちる面もあった。まあ、所属を変えれば怒る人は出てくると言うことなのだろうが、ファンにとっては、ニュー所はそんなに悪くないと思う。

青木の腕折りについては、青木の反論がふるっていて痛快なのだが、あえて前田寄りの解釈をすれば、言ってみれば中指は青木個人の道徳の問題として片付けることも出来るけど、腕折りはMMA全体が問題視されかねないということではないのかなあと思う。それなら一理ある。なぜか日本では中指の方が問題視されたりしがちだけれど、国によっては腕折り一発でMMA禁止論がわき上がっても不思議ではない。まあ、だとしても、あの日あの時の現場で、競技者青木にそんなに選択肢はなかったように思う。むしろ、レフリングの問題や、放送倫理の問題として捉えるべきだろう。

カミプロがMMAを潰したという議論は、どういうロジックでそうなるのか、どう前田寄りに好意的に考えてもよく分からない。もしそうだとしたら、逆にカミプロはたいしたものだということになると思う。しかしカミプロだって潰れてしまってる。ひょっとすると前田は、読み手のリタラシーに怒っているのかもしれない。しかし、読み手のリタラシーを前田が信じないのであれば、こんな放言インタビューもファンの目に触れさせない方がいいと思う。

前田は格闘技のイノベーター、デザイナーたりうるスイッチも持っている人だと思えてならない。こういうヤケクソなインタビューもたまには刺激的で面白いが、前田なら今の格闘技市場を熱くするために何を考えているのか。UFCをどう評価しているのか。思索に富んだじっくりとしたインタビュー記事も読んでみたいところだ。そういう場が全然無いのがもったいないし、寂しい。


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タイミング的にはあれですが、ホントに偶然、最近読了した本より。これは面白かった。当時の経験やメディア状況に寄り添った分析が見られる。それにしても、ものごとがものすごく短いスパンで起きていることが分かる。なお、この本はドキュメンタリーではなく、社会学の学術書に近い。


●(「力道山 vs 木村」の7ヶ月前、1954年2月の力道山本邦デビュー戦「力道山・木村 vs シャープ兄弟」戦について)結果として、「木村も強いが外国人はもっと強い、その外国人をやっつけた力道山は世界一強い」ではなく、「力道山は世界一強い」だけが強烈に胸に刻まれてしまった。パートナーは誰でも良かったのである。これでは木村の立場はない。

●日本国民の注目を浴びた対シャープ兄弟戦は「ゼスチャーの多いショー」に過ぎず、ショーではない真剣勝負のプロレスで雌雄を決したいという木村のコメントは、1954年11月1日付の朝日新聞に載せられているとされるが、岡村はこの記事を確認できないという。なお筆者も確認できていない。ただ、この木村発言を受けて、11月4日の毎日新聞紙上で、力道山は挑戦に応じるとの構えを見せ、日本選手権にしたい旨を伝えている。

●ここで一つの推測を述べておく。木村はシャープ兄弟戦以降、たびたびプロレスの「しきたり」を破り、内幕を暴露していた。それはおそらく身内だけでなく、柔道の後援をし、木村とも懇意であった朝日新聞等のメディアにまで漏らしており、その事実は力道山の耳にも届いていた。プロレスを日本社会に定着させ、ビッグビジネスとして成功させるには、木村の不用意な発言は力道山にとって危機感を募らせるものであった・・・

●ここで当時のメディア状況を整理しておこう。特に重要なのは、力道山と木村との試合がテレビ放送されていなかったという事実である。もちろん当日は午後8時から1時間の放送があった。しかし、前座試合が長引き、メインイベントのゴングが鳴ったのは9時19分であった。そのため、放送局と興行側でトラブルが持ち上がりもした・・・穿った見方をすれば・・・そのようなシーンはテレビでオンエアされない方がプラスなわけで・・・




力道山をめぐる体験―プロレスから見るメディアと社会力道山をめぐる体験―プロレスから見るメディアと社会
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小林 正幸

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興毅8・31世界戦で暴力団員が観戦/BOX(サンケイスポーツ)
JBCの不祥事と言うより、「東京都暴力団排除条例」(平成23年10月1日施行)のプロモーションにも見えるかな~。


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