憂鬱なヒーロー 天龍源一郎


相撲でちょっと尖った天龍源一郎がいて、実社会というか、プロレス界で馬場さんに「天龍、そういうことはダメだよ」とかいろいろなアドバイスをしていただきました。尖った天龍源一郎がいて、プロレス界に入ってちょっと楕円形の天龍源一郎の人間形成ができて、結婚してフルムーンのような人間になれたと僕は思っています。そういう形態を作ってくれたと思っています。(スポーツナビ)




大好きな天龍選手が引退したので、少し思い出を記録しておきたい。おまえが好きなプロレスラーを挙げてみろと言われれば、僕の場合は猪木と前田と天龍ということになる。あえていえば、猪木のことはある意味、社会現象的にながめていたところがあり、前田はあこがれと勉強の対象であり、これに対して天龍のことは勝手に、ぐっと自分に引き寄せて眺めていた。


初めて天龍のことが気になったのは、全日第三の男として、UNベルトくらいは取ったり取らなかったりしながら、マンネリを迎えていたような時期のことだった。6人タッグで馬場や鶴田と組んだ天龍は、はいはい、オレがやられて鶴田に助けを求めればいいんでしょ、といった感じで、たいそう憂鬱な表情のまま、何の反撃もせずひたすらやられ続けていた。第三の男というポジションには甘んじたくないけれども、日々与えられる仕事は、そのポジションをより固めていくようなものばかりなのであった。後年の仕事人・天龍しか知らない人には信じがたいかもしれないが、こんなに明らかに斜に構えて、いやそうにプロレスをする選手は、それまでも、その後も見たことがない。当時僕は大学を出てサラリーマンになったばかり、げっ、これがサラリーマン生活なのかと、先を思いやっては憂鬱になっていた時期だったので、暗い表情の天龍を見て、かえって自分を重ねてしまったものだった。


阿修羅原が解雇され、輪島も引退したあとの殺風景な全日本で、寄る辺がなくなった天龍が、高木功や石川孝志、はてはマイティ井上あたりにまで、誰彼と無くつっかかり、イスやボトルを放り投げ、けしかけるような試合で荒れ狂っていた時代も、別の意味で憂鬱さが刺激的で、目を離すことができなかった。群れることなく、単独で現状を打破しようとする様子に、こんなやり方もあるのかと勇気をもらいつつも、限界が垣間見えるのが、これまた自分のサラリーマン人生に重なったりもした(これはかっこよく言い過ぎだけど)。


あの「日米レスリングサミット」でのランディ・サベージ戦でゲスト解説の徳光さんが、「天龍関はもっとふて腐れたような試合をすると思っていたけど、素晴らしい真っ向勝負ですね!」といったことを語っていた。僕は本当にその通りだと思った。「ふて腐れ天龍」が成長したんだな、僕もいい加減に大人にならないとな、と刺激を受けたものだった。


晩年の天龍のあり方にも学ぶところはたくさんあった。新日本に登場した天龍は、新日本の強力な同化作用に1ミリも流されることなく、結局最後まで、ゴツゴツした違和感を失うことがなかった。だからといって頑固一辺倒かといえばそうでもなく、ドラゴンゲートからハッスルまで、どんな仕事でもこなし、自分よりウンと若いブッカーや対戦相手から明らかに可愛がられ、愛されているように見えた。SWSやWARで懲りたのか、それ以降は経営者になろうとせず、大きな団体にも所属せず、生涯1選手を貫き、楽しそうに現役生活を続けているように見えた。とても固くて、同時にとても柔らかく、試合はいつも信頼の天龍ブランドで染め上げられていた。思えば僕もなんとなく、宮仕えの身を経て、今はフリーランスという立場に流れ着いている。そしていまだに、自分を天龍に重ねて安心を探そうとしていたりする。猪木や前田にはなりたくはないが、天龍にはなれるといいなと思うのだ。


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高橋テツヤ

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