ノリピーのG★SPOT【K-1 Japan Review】

FieLDS K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA -JAPAN GP-
08.06.29 マリンメッセ福岡

JAPAN GPトーナメント1回戦3分3R延長1R
× 武蔵(3R判定2-0 ※29-30、29-30、30-30) vs 前田慶次郎 ○


前田慶次郎のセコンドの前田憲作さんがアドバイスをとばす表情が、試合中何度もアップになるので、いかにも慶次郎には作戦がいっぱいある、という印象を与える。それに対する武蔵は、どうもいかにも「作戦」に引っかかりそうに見える。普段のキャラも割れていることもあり、落とし穴に落ちたり、バナナの皮で滑っているところが目に浮かぶのである。試合中、何度も小首をかしげる武蔵が心許ない。

あれだけ身体が違って、技術も違うんだろうから、ええい、洒落臭いとばかりに大虐殺行為に及ぶことは出来ないものなのだろうかと、素人目に不思議に映る。

試合後の谷川解説で、武蔵は実は左ヒザが悪く、殆ど歩行不能であったことが告げられる。なんだ、サクに続いてまたそういう話かよ。その割には武蔵、バラエティ番組によく出ていたような気も。

K-1スーパーヘビー級タイトルマッチ:3分3R延長2R
○ セーム・シュルト(3R判定2-0 ※30-29、29-29、30-29)vsジェロム・レ・バンナ ×


「作戦」といえば、バンナにこそ必要だったのではないか。3Rを真っ向勝負に終始する姿を、なんと芸のないことよ、前田憲作ならどうする?いまこそマエケンを、などとと思ってみていたところ、放送席はそんなバンナの男気・勇気をたたえすぎて、紀香ちゃんに至ってはあえぎ声を上げだしたのには仰天だ。レジェンド紀香の新境地を垣間見た。東原亜紀ちゃんの、「集中しすぎて呼吸が苦しいんです」とこっちまで胸の詰まるようなコメントを完全に殺している。それはともかく、バンナのようなベテランでも作戦を持ち得ないほど、シュルトへの回答は見いだせないのだろうか。そこまでシュルトはコンプリートなのだろう。なら仕方ないではないか。

バンナは判定に異議を唱えている。そうか?妥当な判定に見えたが?

バンナ試合後コメント

今回の判定には満足していない。オレは自分のことが大好きってわけじゃないし擁護もしない。でも、ジャッジは間違っている。オレは勝っていた。
――左足を痛めた?
バンナ ああ、少しだけな。気にするな。


谷川氏試合後コメント

バンナ選手は惜しかったですね。あと一歩です。次の挑戦者はアーツ選手になると思います。ですが、シュルト選手に勝てる可能性が高いのはバダ・ハリ選手だと思いますよ。


足を痛めたことには触れるなシャラップ!とバンナ。ミルコ戦はあるのかな?そして、シュルトの次のコンテンダーはバダ・ハリではなくてアーツ?だからアーツはノー地上波マッチでノルキアに勝ったんだな。そりゃノルキアに勝てればシュルトにも勝てるだろう(嘘)。谷PはシュルトをDREAMに出したいとも言っているな。出してどうするんだろ。まあ、どうもしないんだろうな。

それにしても、ことK-1に関しては、僕は紀香ちゃんの好きな選手、好きな試合を、陣内よりよく知っている自信があるぞ。まあ、そんな人は5万人くらいいるだろうけど。

JAPAN GPトーナメント決勝戦:3分3R延長2R
× 前田慶次郎(3R判定3-0 ※29-30、29-30、28-30)vs エヴェルトン・テイシェイラ ○


ユナニマス判定は意外だった。前田は攻めていないが、テイシェイラも攻めていなかったように見えた。谷川氏は、前田が動き回って距離をとり続けたせいでマイナスを食らったのではないかと解説。ただレフリーはコーションを1回出しただけなので、たったそれだけで具体的に減点ということになるのかなあ、とは思った。

ただ、谷川氏の見方に共感できる面もあって、たしかに若くて経験の浅い選手に名参謀が作戦を授ける、というのは当たり前なんだろうけど、前田の試合ぶりを見ていると、闘っていると言うより、作戦を粛々と遂行している、という風に見えてしまうのは事実だ。エキサイティングとは言い難い。

澤屋敷だって距離をとるスタイルだし、作戦遂行風に見えるんだけど、彼は勝つときには、最後は相手を仕留めますからね。

前田の試合後コメントを読むと、こんなコメントを出すやんちゃな男だったんだ・・・、とギャップを感じる。やっぱり、コメントとファイトスタイルのギャップが埋まってこそ、人の心を打てるスターと言えるのではないかと思う。

前田の試合後コメント

負けちゃったという感じっす、アハハ。


*****
レスリング・オブザーバー7月3日号がグレート草津の死去について、略歴とともに報じています。

1942年熊本に生まれた草津は、高校時代にはラグビーと陸上でならし、短距離の高校生日本記録を出し、高校卒業時にはプロのラグビー選手として、八幡製鉄所に採用されます。オーストラリアやニュージーランドのラグビーチームからも声がかかるほどの優秀な選手でした。約400万円(1962年当時)という契約金を提示した相撲への転向も断ります。

そんな草津が1965年にラグビーを辞めて日本プロレスに入団したときには、かなり大きなニュースとして扱われました。力道山を失い、馬場・猪木の台頭前であったその頃の日プロでは、ラグビーの草津の他に、東京五輪レスリング、グレコローマンで活躍した杉山恒治(サンダー杉山)、フリースタイルの斉藤昌典(マサ斉藤)を続々と獲得しましたが、ほどなく経営方針の違いから、吉原功氏が3人を引き連れて国際プロレスを立ち上げます。吉原氏は66年、草津と杉山をフロリダのヒロ・マツダに送っています。

有名な「グレート草津 vs ルー・テーズ」戦が行われたのは68年1月3日ですが、この日は日本プロレス史上に残るテレビ戦争の日でもありました。国際プロレスはこの日が第一回のTBS放送にあたっており、視聴率26%を獲得します。しかし同日日テレの裏番組では日プロ「馬場 vs ザ・クラッシャー」が視聴率48%を獲得。

国際プロレス(IWA)は米AWAと提携していたため、草津は次のようなほとんどのAWAトップレスラーと対戦経験があります。アンドレ、ビル・ロビンソン、バーン・ガニア、ニック・ボックウインクル、バロン・フォン・ラシク、ディック・ザ・ブルーザー、スーパースター・ビリー・グラハム、ダスティ・ローデス、ディック・マードック、マッドドッグ・バション、イワン・コロフ、そして新人だったリック・フレア。71年にはアメリカ遠征も経験しています。AWA世界ベルトには二度挑戦(獲得ならず)、IWAのシングルのベルトにも手が届きませんでした。

78年、IWAタッグ王者だった草津・アニマル浜口は新日本との抗争の中、ヤマハブラザーズに敗退します。79年1月のリマッチでベルトは国際プロレスに戻りますが、そのときの新王者は浜口・マイティ井上組でした。この頃草津のトップスターとしての時代は終わりを告げていました。

80年にアキレス腱を負傷した草津は、その後殆ど試合をすることはなく、81年国際プロレス崩壊後、多くのレスラーが新日本・全日本に入団していくときにも、ほぼ忘れられていました。ただ、1990年にSWSが旗揚げした際、テレビ放送のゲスト解説に登場していたそうです。

ちなみに、草津・テーズ戦の謎のフィニッシュについては、森達也によればグレート東郷が糸を引いていたということです。NHK教育で7月1日(火)放送予定の「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 愛しの悪役レスラーたち」グレート東郷の巻で、そんな話もでるかもしれませんね。

Wikiにも、やや荒れ気味ながら、草津さんに関する興味深いエピソードが紹介されています。

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