オブザーバー誌が選ぶ豊田真奈美ベストマッチ


レスリングオブザーバー3月27日号が、引退を表明した豊田真奈美のキャリアを振り返る記事を掲載している。英文でざっと3,000ワード超だから、このまま翻訳すれば日本語でおそらく8,000文字くらいにはなりそうな大作だ。ごく一部を紹介、その絶賛具合を味わってほしい。

90年代の初期から中盤にかけて、ほとんど毎晩のように、ここまで高いクオリティの試合をやり続けた選手は豊田以外にはいないだろう。スモーホールであれ横浜アリーナであれ、北朝鮮のメイデー・スタジアムであれ、駐車場の仮説リングであれ、全盛期の豊田は年間250試合、同じクオリティの試合を一貫して提供し続けた。リック・フレア以外のトップワーカーはほとんど、大会の規模に応じてスピードを変えて試合をするのが普通だった。

今に至るまで、私がライブ観戦した最高のファイブスター・マッチは、後楽園ホールで1992年に行われた豊田と山田敏代の髪切りマッチである。あの熱い会場でニアフォールのカウントを繰り返すレフリーの汗びっしょりの背中、女性ファンの悲鳴に混じる、一世代前よりは増えていた男性ファンの歓声、正視できないほど感情的だった試合後のやりとり。試合に勝ったにもかかわらず、豊田が自らの髪を切ったことには、やりすぎではないのかと後楽園ホールの責任者が全女に苦情を入れたほどだった。





豊田が得意だったのは、長い試合を通じて、あらゆるビッグムーブを生き残る、命を削るストーリーの試合だった。勝っても負けても、試合が終わると消耗しきった姿でマットに横たわる豊田の姿は、全てを出し切ったすごい試合を目撃したと観る者に思わせるものであった。

90年代、豊田はレスリングオブザーバー・アワードのレスラーオブザイヤー賞のトップ10に4回入った。最高位3位は女子選手としては史上最高。そして豊田はオブザーバー年間最優秀試合に選ばれた史上2試合しかない女子戦に出場している。1つは、1993年4月21日大阪の豊田・山田 vs. 関西、尾崎、もう1つは1995年5月7日後楽園ホールでの豊田 vs. 井上京子の60分フルタイム引き分け試合である・・・WWWAベルト(赤いベルト)は4回獲得(史上最多)、全女のジャパン・グランプリでは1990年(当時18歳)、1995年、1998年、1999年に優勝を飾っている・・・







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ネイト・ディアスは、UFCの新オーナー、WME-IMGが、自分のようなタイプを疎んじているのではないかと警戒を深めている模様だ。ネイトは新作映画『Fist Fight』に出演予定だが、UFCサイドは映画製作者に対して、ネイトではなくコナー・マクレガーかGSPのブッキングを強く推してきたのだという。

「映画監督は、いやいや、ネイトを使いたいんだ、といっているのに、UFCは度重ねてGSPかコナーを使うようにと言ってきたらしい。いったいなんなんだ?そりゃオレはハンサムでもないし瞳も青くない。しゃべりもムチャクチャだ。ヤツらの好きなタイプではないんだろう。ただこれは格闘技なんだよ。顔で戦うわけじゃない」

「どうもUFCは、キミなんか必要ないんだよ、と言いたいように見える。それで、どうなっている?最近のカードを見てみろよ」

「UFCは我々を閉め出そうとしている。コナーのことはあそこまでスターに仕立てたのに、我々に同じようにしたことがない。オレはずっと自制しているのに、UFCからオレの名前はまるで出てこない。こんな会社のために、何をしてやれると言うんだ?」

また最近デイナ・ホワイトが、「ネイトな試合を断り続けている」と語ったことについて、ネイトは次のように反論している。

「デタラメをでっち上げるのはやめてもらいたい。お笑いファイトを1試合断っただけで、それ以外にオファーなんか来ていない」

このお笑いファイトとは、エディ・アルバレス戦のオファーだった模様だと報じられている。

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高橋テツヤ

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