日テレプロレス中継史


●7月のUFC100で、「マーク・コールマン vs ステファン・ボナー」が組まれる見込みとなった。コールマンは元UFCヘビー級および初代PRIDE無差別級王者で、昨年UFCの殿堂入りを果たしているレジェンド。一方のボナーも、第一回TUFフィナーレでフォレスト・グリフィンと死闘を演じ、UFCを変えた男としてアメリカのファンには思い出深い選手。両者とも前回は敗戦しているが、勝ち負けを超えた、エモーショナルなレジェンドマッチとして盛り上がりそう。やり口がちょっと日本的。それにしても既報のトリプルメインにこんなスパイスまで加え、実に強力なラインアップとなった。

●レスリング・オブザーバによると、UFC101は8月8日オレゴン州ポートランド開催で、メインは「ノゲイラ vs クートゥア」、UFC102は場所未定ながら8月29日の開催が見込まれているそうだ。

●新生ストライクフォースがプレスカンフェランスを開催。MMA Planet に詳しい。MMA Junkie 情報を付加すると、4月11日旗揚げ戦で予定されていた「ジェイク・シールズ vs ジョー・リグス」はキャンセル、リグスはフィル・バローニと対戦の見込み。ブレット・ロジャーズも参戦する。シールズは5月大会でロビー・ローラーとキャッチウエイト戦を行う。詳しいカードは「海外MMAスケジュール」ページへ!

●バーン・ガニアは起訴されないこととなった。レスリング・オブザーバ

●「ザ・レスラー」のDVDはアメリカで4月21日にリリースされるそうだ。米Amazon

●レスリング・オブザーバによると、WEC初のPPV大会は6月のサクラメント大会となる見込みで、この大会には好カードが山積みになりそうだとのこと。メインは「マイク・ブラウン vs ユライア・フェイバー」のフェザー級王座戦。5万件が販売目標、6万5千件で大成功という基準だそうだ。TUFなどUFCの番組中にもCMなどを打ってPRするそうである。
5万件なら楽勝にも見えるが、DREAMも先だっての軽量級大会の視聴率が、深夜とはいえ散々だった。ずばり、NOAHと変わらなかったわけでぞっとする。UFCでもやはり重い階級の方がPPVを売るという傾向がある。どのくらいの市場があるものなのか、確かに見えにくい。

ノブ・ハヤシ、「急性白血病」で長期休養へ/K-1(サンケイスポーツ)

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レスリング・オブザーバの最近号に、NOAHの地上波放送中止を報じつつ、日テレのプロレス中継の歴史を振り返る長文記事があった。印象に残った点だけピックアップして紹介してみる。

●日テレによる第一回のプロレス中継は1954年2月19日、蔵前国技館で行われた「シャープ兄弟 vs 力道山、木村政彦」の61分3本勝負。シャープ兄弟は西海岸版のNWA世界タッグ王者であったが、この試合はノン・タイトル戦であったという。なお「61分」という時間設定はハワイでよく行われていたものが輸入されたと言うことだ。この試合はNHKでも平行放送された。結果はフルタイム引き分けである。力道山の海外での活躍はすでに1951年頃から新聞等で広く報じられており、放送当時はすでに有名で事前の期待感も非常に高かったのだという。

●日テレは翌日の2月20日にもプロレス中継を行っている。蔵前から三大シングルマッチ、「マイク・シャープ vs 山口利夫」「木村政彦 vs ボビー・ブランズ」「力道山 vs ベン・シャープ」

●日テレプロレス中継の最高視聴率は、1957年10月6日、後楽園球場での「力道山 vs ルー・テーズ」のNWA世界戦での「87%」。ただし当時はテレビの普及率が低く、現在の数値との直接比較は出来ず、参考記録との扱いだそうだ。

●公式記録の最高視聴率は、1963年5月24日の「力道山 vs ザ・デストロイヤー」の64%だった。前哨戦でデストロイヤーが四の字固めで力道を下しており(力道山唯一のシングルマッチでの敗退)、これが強烈なショックとして伝わったため、高い注目を浴びたそうだ。結果は61分フルタイムドロー。

●インターナショナル・ヘビー級王座創設の経緯はこうだ。日本のプロレス人気の急速な台頭に目を付けたルー・テーズが、NWA会長のサム・マソニックに、自らが王者として日本マットに定期参戦すべきだと直訴するが、マソニックはこれを却下。怒りのテーズはNWAを離脱し、みずから「インターヘビー王者」を名乗って世界をツアーするようになった。これを力道山が1958年8月17日、ロスアンゼルス・オリンピック・スタジアムで奪取するのである。

これ以来日本プロレスとNWAの関係は冷却、NWA王者が次に日本に来るのは、1969年(ドリー・ファンクJR)まで待つこととなった。

●日テレの日本プロレス中継は1972年5月2日が最終回。最終回のカードは「馬場 vs ゴリラ・モンスーン」。そのあと日テレは7月まで、プロレスのハイライト番組を放映し、一旦放送終了。そして同年10月21日、全日本プロレス旗揚げ戦で中継を再開したのであった。全日本の第一回放送のカードは、「馬場、杉山 vs ブルーノ・サンマルチノ、テリー・ファンク」だった。旗揚げ当初の全日本はベビーフェイスが足りず、この後馬場は、デストロイヤーをベビーにしたり、ヘーシングを雇ったりしたのである。

●全日本プロレスになってからの最高視聴率は、1986年暮れの「輪島大士 vs タイガー・ジェット・シン」で23.5%だった。(訳注:これは意外だ。マスカラスの時代とか、長州軍がいたころではなかったということだし、あのマスカラスでも23.5を超えてなかったことになる)

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