初期UFCを支えた男ロン・ヴァン・クリーフ【漢】

Diaz fight may be off (F4W)

8月15日ストライクフォース大会に出場予定のニック・ディアズが、今日参加すべきだったカリフォルニア州コミッションのドラッグテストに姿を見せなかった。マネージャのシーザー・グレイシーは「トレーニングで忙しかった」と述べているという。

検査は改めて月曜日に行われると言うが、そのスケジュールでは大会当日までにライセンスを支給できない可能性もあるという。

この大会はもう、元々のカードが気の毒なくらいにめちゃめちゃになった。これからまだ、計量という一山を超えなければならない。カラーノもサイボーグも計量失敗の専門家なので案じられる。

対戦相手はジェイ・ヒエロン。ヒエロンは中止となったアフリクション3大会でのポール・デイリー戦も流れている。

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大毅、10・6に2度目の世界戦(中日スポーツ)

中継するTBSは08年の坂田VSデンカオセーンの「大みそか決戦」をK-1系の「Dynamite!!」との抱き合わせ中継をしている。10月6日もK-1があることから同様にK-1との合体中継の可能性が高い。

 

正式決定っ!! DEEP43より5ジャッジ制スタートっ!!!(The wild side of the DEEP)
「おかしなジャッジが一人いても、その人がキャスティングボードを握ることはない」、という意味で賛成。そもそも「おかしなジャッジ」がいなければ済むことではある。

ただし、まともなジャッジの意見も同様に薄くなってしまうわけで、結果的にこれで判定の納得度があがるかどうかはやってみないとわからない。

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少し前のシャードッグの記事に、初期UFCにホイス・グレイシーと戦い、スタッフとして裏方仕事も担当していたという ロン・ヴァン・クリーフ氏のバイオグラフィが掲載されていた。非常に興味深かったので、一部を紹介する。

ソース Ron Van Clief: Where Is He Now? (Sherdog)



他のMMAの開拓者たちと比べても、ロン・ヴァン・クリーフの人生は、その業績の幅広さと、人脈の広さでは抜きんでるものがある。

ハリウッドのスタントマン、俳優、そして初期UFC応援団であった「ブラック・ドラゴン」は、UFC4では選手として金網に上がり、ホイス・グレイシーの関節技に屈している。

当時51才だったヴァン・クリーフの肉体には、半分の年齢の男からも羨望のまなざしが注がれた。現在彼は、ヴァージン諸島に暮らし、いまでも人生のチャレンジへの準備に余念のない日々を過ごしている。

週に3日、ヴァン・クリーフは6キロも泳ぎ、別の3日間は、腹筋1500回・腕立て伏せが数百回・スクワット250回という、常人なら吐いてしまうような運動をルーチンにしている。

「週末にはビーチで格闘技を教えているんだ」65才のヴァン・クリーフは語る。「グレイシーやマチャドの生徒を預かってる。最近、ヴァージン諸島MMA協会を立ち上げたばかりで、来年には大会も開く。フィラデルフィアのUFC101に行くから、ダナ・ホワイトにも挨拶しなくちゃ」

ブルックリン生まれのヴァン・クリーフがマーシャルアーツを始めたのは1959年のこと。ベトナム戦争出兵後、1966年に香港を旅し、ブルース・リーと出会う。当時のリーはアメリカでのテレビドラマで知名度を上げているところだった。

「「ブラック・ドラゴン」と呼んでくれたのはリーだったが、後にそんな題名の映画を製作することになるとは思わなかったよ。リーは面白い男で、エゴの持ち方がちょっと普通とは違うんだ。「君のよさは前回の練習以上でも以下でもない」が哲学でね。だから僕はいつも腹が出ないようにしていたよ。武器を小型化したのも彼だし、ハーブのサプリメントについても時代の先を行っていた。」

リーは武芸の映画で知られているが、グラップリングにも興味を持っていて、柔道家のジーン・ラベルのもとで自分の格闘哲学に織り込もうとしていた。

彼はミックスト・マーシャル・アーティストだったよ、とヴァン・クリーフは語る。

ではもし、リーが今日のMMAで戦ったらどうなったと思われるだろう。

「真剣にやれば、素晴らしいライト級の選手になり、良い勝負をしただろう。彼はタフな男だったよ」

そんなヴァン・クリーフにとって、90年代初頭に台頭してきたMMAは抗しがたい魅力があった。すでにいくつものトーナメントで優勝し、ワールド・カラテ・チャンピオンシップを5度獲得した実績もあったのだが、UFCを試してみることにした。

「もう51才だったんだが、テレビで見てしまって、やるしかなくなった。わかるかい。オクタゴンを試してみたくない総合格闘家なんているものかね。引き留めるヤツらはいた。ジョー・ルイスも、『ケツをつぶされちまうぞ』と言ってた。それはどうでもよかったんだ」

「3ヶ月間の特訓をしたよ。ボクシングにムエタイ、BJJもやった。1週間前の練習で、245パウンドの男にスープレクスで投げられて足首を負傷した。やめることも出来た。靴が履けなかったんだから」

「弟子が試合前にマッサージをしてくれたんだが、足首には触れもしなかった。でも試合をやめるなんてできるかい?あれはとても素晴らしい経験だった。勝とうが負けようが、金網に踏み入れ、30も若いホイス・グレイシーと4分間やりあったんだ。美しい時間だった。この上ない引退になったよ」

ヴァン・クリーフは94年から95年まで、UFCのコミッショナーを務めた。当時の社主はSEGで、イベントの禁止や、ジョン・マケインの反対との闘争の頃であった。

「ホリオンとエリオに頼まれて、MMのスポークスマンをやっていたんだ。僕は共同プロデューサーだったし、製作のコーディネーションも、試合のコーディネーションもみんなやった。イベントの構成を考えて、面白くて楽しめてテレビ写りがよくなるように工夫もした。タンク・アボットのような悪役も連れてきた。「スーパーファイト」のコンセプトも僕が考え出したんだ」

「やがて僕は会社を離れた。なんだかうんざりしてきてしまってね。あるとき、タンク・アボットがパトリック・スミスをエレベーターの中で殴りつけた。もちろん警察沙汰にはしなかったけど、なんだかがっかりしてしまってね。法廷でマケインとも向き合ったけど、闘犬とか呼ばれるしさあ」

ヴァン・クリーフはテレビや映画の世界でも豊富な経歴を持っている。

「業界歴はもう40年になる。「ダイ・ハード3」に出たし、チャーリー・シーンの「CIA」ではバイクでエスカレーターを走り降りた。200本の映画に出演して2008年に引退した。それでもまだ、テレビドラマでおつりの仕事が来ている。「ソプラノズ」にも出たし、「OZ」のオープニングで人の顔を殴りつけている。」

現在のMMAは、ヴァン・クリーフがホイス戦の電話を受けたときに夢見ていたものになっているという。

「不足していたのはクロス・トレーニングなんだよ。今の選手は打撃やテイクダウン、関節技、グラウンドなどいろんな局面をよく練習しているね。点取りトーナメントやテコンドーが死に絶えたのは素晴らしいことだ。あれは退屈だったし、戦いというのはああいうものではないんだ。スポーツではあるかもしれないが、戦いではない」

ヴァン・クリーフのお気に入り選手は、ホイス、ティト・オーティス、マット・ヒューズ、そしてチャック・リデルだ。

「ボクシングやレスリングのように進化していくべきだ。そしてもっと、テレビ映りの良いものになっていくだろう。UFCはやり方を掴んでる。良い試合、才能ある選手、優れた宣伝。そこから始まるんだ」


(参考)
最後のブルース・リー/ドラゴンへの道(BS- TBS)

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