BJの150発

MMAの試合を見てはパンチやキックの数をひたすら数えているFightMetric が、昨日のBJペンが如何に強かったかを証明している。

これによると、ディエゴ・サンチェスは試合全体で108発の打撃を繰り出したが、ヒットしたのは8発しかなかった。BJは214発の打撃を繰り出し、150発をヒットさせた。顔面へのジャブだけで78発である。150発も殴られれば、ああいう顔にもなる。

サンチェスは27回のテイクダウンを試みたが、成功はゼロ回。もっともテイクダウンしてその後どうしようとしたのかはさらに疑問ではあった。

まさにBJの完全試合。ディエゴはよく心が折れなかったものだ。

Fight Metricのブログによれば、BJはライト級戦でテイクダウンを39回連続で防いでおり(前回のケンフロ戦でもたしかに一度も取られなかった)、一番最近、テイクダウンを取られたのは、2003年10月、ハワイの Rumble on the Rock で行われた五味戦にまで遡るというから驚きだ。このBJをいとも簡単に寝かし続けたGSPも改めて空恐ろしい。

ちなみにBJは試合後に,自分で自分の顔を11発殴っていた。あのオウン・ビンタが、WOWOWの稲垣さんの解説のように、サンチェスの打撃より効いたかどうかは定かではないが、数はたしかに多かったことになる

複数の記事をあわせ読むと、BJはあと数試合、UFCライト級を掃除したら、ウエルター級に転向するという路線が敷かれつつあるという。本人はGSPとの再戦を意図しているらしい。それよりフェザーに落としてはどうかとか、いやいや、逆にホセ・アルドらがライト級に上げては、という提言も見られる。BJのトレーナーは Sherdog のインタビューに答えて、「青木がBJを倒せるとかなんとか、シットを言っているらしい。ブラザー、じゃあUFCに来てみるよ。楽しみに待ってるぜ」と挑発している。青木が本当にそう言ったかどうかは定かではないが、何にせよ強すぎるBJの今後の対戦相手選びは、「科学的マッチメーキング」だけではうまくいきそうもない。

*****

非常にどうでもいいような話で恐縮だが、昨日のUFCで、フランク・ミアにフロントチョークに捉えられたシェイク・コンゴが落ちたかどうかを確認するために、レフリーのハーブ・ディーンがコンゴの腕を持ち上げて離し、腕ががくっと落ちたことを確認して試合をストップしていた。たしかに体勢的にコンゴの顔が見えない状態だったため、ダメージが測りずらいシーンではあったが、あんなプロレスみたいなことをリアルファイトでもやるんだ!というところに、なんだか感心してしまった。というか、プロレスのあのレフリーのやり方は、一応リアルファイトでの確認方法を下敷きにしているんだなと感動。ただしリアルファイトでは3回確認したりはしないし、もちろん落ちていた選手が3回目に覚醒して力こぶを作ってカムバックするということもない。

関係ないけどそういえば今見ているIGFの試合で、下からの三角締めを極めた選手がそのままフォール負けするという試合があって、それはそれで厳しすぎるというか、どうすりゃいいんだと思ってビックリした。

▲▲▲

ハルク・ホーガンのツアーを終えてオーストラリアから帰国する飛行機で、ジャマールは人気歌手のブリトニー・スピアーズと乗り合わせた。スピアーズは、同行していたリック・フレアにではなく、ジャマールのことに気がついて自分から声を掛けていたという。スピアーズの元夫がWWEでジャマールと絡んだことがあったらしい。

WWEのマンデーナイト・ローでは、ジャマール死去について全く触れなかったため、ファンの怒りがわき起こっているという。ただ、クリス・ジェリコら数人のレスラーが、黒のアームバンドを着用し弔意を表していた。ROHに移ったジム・コルネットも、「体面を考えて、彼のことに触れなかったのだろう。ジャマールはROHには登場したことはないが、かれはプロレスの仲間なので、ROHではすでに、テンカウントゴングの追悼式を行った。この業界では、誰かが亡くなっても、こういうことが多すぎて悲しい」と語っている。

ソースは英SUN紙(1)(2)

>訃報を受けて曙は、全日本の試合でサモアン・ドロップを使ったらしい。

*****

オーサム・コング(アメージング・コング)のインタビュー記事を珍しく発見。抄訳。現在はTNAで大暴れ中。そういえばハッスルで「マーガレット」というキャラも演じていたなあ。

/ Quote
キア・スティーブンス(本名)は15歳の時プロレスの虫にとりつかれ、プロレスラーになろうと考えたが、母親から「成功している女子選手はほとんどが枕営業をしているのよ」と諭され一旦いやになる。

20歳代前半にキアはMTVのオーディション番組に応募。参加者にプロレスのトレーニングをさせて、プロレス団体との契約を競うというものだったが、「番組関係者から、プロレスで成功するには身体が大きすぎると言われたの。きっと、痩せていて美しい女性でなければ売れないという意味ね」「ちなみにいまわたしは(TNAで)この番組の優勝者とか、審査員と一緒に仕事をしているわ」

ソーシャル・ワーカーとしての仕事を得て、ロス・アンゼルスのカレッジで行動学の授業を取るようになっても、プロレスが頭から離れることはなかった。

「何とか生活が出来るようになって、プロレスをすることが出来るようになった」

2002年、エンターテインメント業界の友人の推しでスティーブンスは「ボディ・チャレンジャー」というリアリティショー出演の機会を得る。「プロデューサーは私のパーソナリティを気に入ってくれたようだけれど、やっぱり身体が大きすぎると思われていた。だから私は32パウンド減量した」

この番組での成功が目にとまり、スティーブンスは日本の女子プロレスで働くオファーを得る。「アメリカ式の食事もなにもかもあきらめた。でも消して簡単なことじゃなかった。最初の一ヶ月半ほどは、トレイナーに殺されるかと思ったわ。」「とにかく、もっとやれ、と言われ続けた。それしか言われない。もっと、もっと。だからプロレスは他の選手から学んだ」

熱狂的な日本の観客に答える日々を重ねながら、彼女は本国でカルト的な人気が高まっていたことは知らなかった。

「6年ぶりにアメリカに戻って、しばらくは休もうと思っていた。でもいくつかのブッキングを受けてみたら、反応がとても良くて、ブッキングがドンドン増えていったの。思ったよりうんと早く、テレビにも出れた。コングは思ったよりずっと人気があったということね。」

ニューヨークの書店で開かれていたホーガンの著書サイン会にスティーブンスが行ったときほど、輝いていた時間はない。

「もともと、ひとことご挨拶するだけのために行ったのよ。でも家を出る三時間前に、ホーガンのTNA入りが発表された。だから、ハーイと言うつもりが、ウエルカムって言うことになった」

「彼は私のファンだと言ってくれた。もうクラクラ。で、彼は私のための「ビッグプラン」があると言ってくれた。どんなプランなのかしら、待ちきれないわ」

スポンサーサイト

毎週更新!

Ad

Ad

MMA Update