マルハゲの男は多かれ少なかれ自分に似てるんじゃないか【ダナ・ホワイト】


ダナ・ホワイトが著名キャスター、ダン・パトリックのラジオショーに出演。MMA専門のインタビュアーではないだけに、脱力系の対話が楽しめる。音声はこちら。そういえばシャキール・オニールはDynamite!出場の噂もありましたね。

Q 自分もオクタゴンに入ってみたいというアスリートは多いでしょうね

ダナ そうなんだよ。アスリートだけじゃなくて、道行く人にもよく声をかけられる。「オレ様が10歳若かったら、やってやるんだけどな」っていつも言われるよ。

Q 戦いたがっている有名人はいますか

ダナ シャキール・オニールだ。ヤツにはもう永年、俺にも戦わせろと脅されている。何年もトレーニングしていて、いつかは戦ってみたいそうだ。

Q ハーシェル・ウォーカーがシャックと戦ったらどうなりますかね

ダナ ハーシェルは実際にいま戦っているからな。わからないけど、おもしろいことにはなりそうだ。シャックは練習していると言うし、体格でアドバンテージがあるから、たぶんシャックが勝つんじゃないかな

Q UFCでもっとも楽しい選手は誰ですか。それは、UFCのベストファイターとは別人ですか

ダナ そうだな、いろいろいるからな・・・たとえば、いま世界トップの選手にアンデウソン・シウバという男がいるんだが、自分の意見では近頃は楽しい試合をする男ではなくなった。ブロック・レスナーの試合は絶対に退屈にはならない。ジョルジュ・サンピエールも世界最高の選手だ。ヴァンダレイ・シウバやフォレスト・グリフィンは世界最高の選手とは言えないが、とても楽しい試合をする。

Q もしもパッキャオやメイウエザーがMMAで戦えば、どんな結果になるでしょう

ダナ 自分はパッキャオの大ファンだしなあ。パッキャオの方がアグレッシブな選手だし、楽しい試合をしてくれると思うが、どちらもMMAではやられてしまうだろうな。

Q ダナ・ホワイトのそっくりさんっているんですかね

ダナ ああ、マルハゲの男は多かれ少なかれ自分に似てるんじゃないか。ハゲはみんな似ているからな。

Q 逆に誰かに間違えられたことは?

ダナ アンドレ・アガシだ。

Q ずいぶん体格のいいアガシですね

ダナ でも実際アガシに会ってみると、おもったよりデカイ男だったよ。

Q 「アガシ対あなた」ならオクタゴンでいい勝負になりますかね

ダナ 自信はあるよ

Q だいたい、こういう話に落ち着くんじゃないですか。

ダナ そうだね

Q 一番最近戦ったのはいつですか。オクタゴンじゃなくて、喧嘩も含めて。

ダナ 大昔だ。たぶん23歳の頃かな。

Q あなたが喧嘩を始めたのですか

ダナ いいや

Q フィニッシュしたのはあなたですか

ダナ そうだ。それが最後のストリートファイトだった。

Q 「タフガイ」というのも楽な稼業じゃないですね。みんな、俺も勝るとも劣らないくらいタフだぜって,挑戦してきたりするでしょう

ダナ 妙な話だが、以前はそんな感じだったんだ。自分がボストンのバーで働いていた頃には、いろんな出来事を見たよ。マービン・ハグラーは常にボディガードを付けていたな。誰もがしょっちゅう、挑戦をふっかけてきたからだ。クレイジーな話だよ。今は時代が変わったのか、UFCのファンがクールだからなのか、UFCの選手にはそういうことはないなあ。どこに行っても、自分やUFC選手がふっかけられることはないよ。



*****

レスリング・オブザーバ5月24日号に、5月3日に88歳で亡くなった日本人レスラー、キンジ渋谷の追悼記事があった。ごく一部を抄訳。ちなみに、オブザーバの追悼記事はいつも超充実なのだけれど、ジャック・ブリスコの巻は特にすばらしかった。あまりの長文に、抄訳し切れていないけれども、今後どこかで急に紹介するかもしれません。


日本人ギミックのヒールの中でもっとも長持ちしたスター選手が、1952年のデビューから1976年の引退までヘッドライナーを勤めたロバート・キンジ・渋谷だった。たくさんのテリトリーを渡り歩いたが、おそらく50年代のミネソタ地区と、60~70年代のカリフォルニア地区でとてもよく知られていた。タッグパートナーにはミスター・モト(チャーリー岩本)、デューク・ケオムカ(田中久雄)、ミツ・アラカワ、ミスターサイトー(マサ斉藤)らがいる。

・・・驚くべき数字がある。渋谷がカウ・パレスに初めて登場したのは1961年10月21日のことで、そのときにはベン・シャープと組んで、当時のタッグ王者とセミファイナルで対戦。その後1966年の春にかけ、45回のカウ・パレス大会のうち42回で渋谷はメインかセミに登場している。最後のカウ・パレス登場は75年6月7日、前座試合でドン・ムラコにフォール負けしたときだが、結局129回の登場のうち、98回がセミかメインであった。

・・・渋谷は「地下空手の師範」として売り出されていた。それは素手による戦争術だとされており、突きが正確に喉にヒットすれば、そのダメージは遅めの弾丸と同じだとされていた。危険すぎるとしてNWA地区では禁じ手とされていたが、渋谷がレフリーの死角をついて、その致死的な一撃を繰り出すと、たとえドリーファンク・シニアであろうと、倒れこんてしまうのであった。ファンク・シニアが「カラテ襟巻き」を開発するというプログラムもあった。鉄製の襟巻きを装用することで、反則の突きを防御したのである。

・・・渋谷は1921年3月16日にユタ州で生まれた。両親はともに福島県出身で、5人兄弟の4番目であった。ロスアンゼルスで育ち、高校ではフットボールの花形選手だった。しかし、1940年にロスで大学に入学したあと、41年から45年まで、何をしていたのかは不明である。それは歴史上の醜い時期であった。1942年、日本による真珠湾奇襲の数ヶ月後、多くの日系アメリカ人は強制収容所に送られ、アメリカ政府によって財産は没収された・・・強制収容されていたかどうかについて、渋谷は何も語っていない。ただ、渋谷の消息は、1946年ハワイ大学のフットボールチームで再浮上する・・・

・・・煉瓦をも砕くという喉へのストンピングと、おそろしい神経クローのほかに、渋谷の得意技にはジュードー・チョップという、敵の胸板をねらったオーバーハンド・チョップがあった。ちょうどワフー・マクダニエルのチョップに似ている。渋谷のチョップの当たりは強く、対戦相手の胸板は数分で赤や紫に変色した。ベビーフェイスが帰宅して奥さんの前でシャツを脱げば、ああ今日は渋谷戦だったのねとすぐにわかると言われていた・・・

渋谷は、日本に行ったことがないとうそぶいていたが、それは正しくない。ただ、実際初めて東京の土を踏んだときにはもう46歳になっていた。1967年と1970年に日プロに招聘されたのである。日本人陣営として起用され、主に馬場や猪木と6人タッグを組んでいた。

日系アメリカ人博物館が2000年に、歴史に残る日系人アスリート、というフィルムを製作したとき、クリスティ・ヤマグチ(スケート)、トミー・コウノ(重量挙げ)、ジョニー・モートン(NFL、日本人とアメリカ人のハーフ)らと並び、渋谷は14人のうちの1人に選ばれていた・・・

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レスリング・オブザーバ5月31日号掲載のニュースより。

・チェール・ソネンは,オレゴン州上院第37地区の共和党代表選出選挙で圧勝した。11月に行われる民主党候補社との選挙戦に突入する。そのソネンがTwitterでアンデウソン・シウバによびかけ

アンデウソン、アンタは,借金まみれのポルノ女優なんかよりもずっと長い時間、上に載られることになるんだよ



・UFCは年末にドイツ大会を開催する可能性があり、それがミルコ・クロコップの引退大会になる可能性もあるとのこと。

・M1-Global内部では、ストライクフォースとのコ・プロモーションにより興行収益を折半することで得られる収入よりも、UFCと普通に契約して得られる収入の方が多いようだ、との結論に達している模様。ヒョードルはストライクフォースで2試合の契約を残しており、これを無理にご破算にしてCBSと訴訟になっても高く付くばかりなので、さっさと試合を消化してUFCに移籍するのではないかと見る向きもある。ヒョードルが無傷でUFCに移籍できた場合には、いきなりのタイトルマッチ実現が見込まれているそうだ。

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