【NOAH】森嶋時代は急を告げたか

森嶋 def 三沢 (3.2日本武道館)

というわけで、満を持しての森嶋の戴冠劇。森嶋エース路線は全然反対じゃない。むしろ遅かったくらいですよ。テンガロンハットの入場シーンも、PRIDE時代のヒース・ヒーリングみたいな冷たさがあって、板についてきたと思うなあ(好みは別れると思いますがね)。一人で入場してきて空気感がある人って、そういませんからね。昔の外人選手みたいな巨大な身体に五味そっくりの中性的な顔がのっていて、いざとなれば丸藤と同じスピードで動けてガス欠もしないというのは、パッと始めてテレビを見た人に、「新しい!」と思わせる雰囲気があると思う。

ただ、「ついに森嶋が三沢を超えた!」というカタルシスは不足気味で、どちらかといえば既定路線をつつがなく演じたという風に見えてしまったキライがある。なにせ昨年のこのカードでの三沢のコンディションは目を覆うばかりで、もうとっくに世代交代してるじゃんかと映っていたからである。

しかも、三沢はエメラルドを一度も持ち上げられなかったし(森嶋にトップロープなどに乗ってもらってから決めていた)、スープレクスもタイガードライバーも放てないのに、三沢越えをさせようというのも無理だろう。試合時間20分もGHC戦としては短い。長ければいいというものでもないが、この試合なら長くやるべきだっただろう。三沢は自分が越えるべき山であることを、しっかりと見せないといけない。場外で放ったエメラルドはホールド不足のため本当に落としてしまい、森嶋が首を痛めたように見えた。もはや三沢はノア風のタイトル戦をこなすには非力で危険すぎる。

休み休みにしか動かない三沢に昨年は「どうしたらいいんですか」という風の森嶋であったが、今年はなんとなく間を埋めて、こなしていたと思う。それって、ハイスパットの連続よりもある意味、難しいんだろうなあと思う。ふと、晩年の猪木と戦った外人選手は、こんな感じで間を埋めるのに苦労したんだろうなと想像する。

それにしても力皇復帰の日に、かつての盟友森嶋の戴冠。何を思う、力皇?

それと、タッグリーグ戦参加メンバー発表の儀(なんとも芸のない発表の仕方ではあったが、これはこれで妙な味がある)では「田上、潮崎」チームに一段と大きな歓声。潮崎は海外武者修行よりも、田上と組んでリーグ戦に出ることを優先したのか?謎だ。検査結果次第では小橋の参加もあり得るとの報道も見た。今は9チーム参加と中途半端な数なので、小橋の可能性を含め、あと1チームは入ってくるのではないか。あわせて、三冠王者佐々木のGHC挑戦の機運をほのめかす報道もある。健介オフィスがNOAHに参戦するなら、健介がこれ以上あがっていくかどうか、ということより、中嶋が経験値を踏めるといいなとおもう。

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そういえばかつては、NOAHの武道館大会は何故か、PRIDEやK-1の大きな興業と同日興業になることが多くて、そういうときのNOAHって、ものすごい底力をだしたものです。下手したら、こっちの方がおもしろいじゃないかというくらいに。森嶋らにそんな意地があるなら、今年はその意地を復活させて欲しいですね。

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こんな古い記事を偶然見つけました。この10年前の問題提起、いまはもっと喫急な問題になっていますね。

多様化するこの社会とスポーツ
ジャンボ・鶴田(慶應義塾大学講師) 早川武彦(一橋大学教授)
無限大(日本IBM株式会社 発行) 1997年11月号(No.102)より転載

(抜粋)

(早川)どの議論を見ても「する」スポーツに対する批判的な分析がなされているだけで、「する」と「見る」両者の関係から「スポーツ」を捉える論議は、これまでほとんどありませんでした。    

これは従来のスポーツ意識に問題がありそうです。つまり「する」ものと「見る」ものを区別することで、「する」ことが「見る」ことに与える意味や、逆に「見る」ことが「する」ことに与える影響など、「する」と「見る」両者の関係によってつくり出される豊かなスポーツ文化について論ずることを遮断してきたものではないかと思われます。

(鶴田)みんながプロになって良い競技を見せれば、果たしてみんなが幸せになれるだろうか。仮にそうなったとしても、何かちょっと無理があるように思います。やはり、「する」スポーツと「見る」スポーツとは違いますね。「する」スポーツのなかで、人間形成とか、そういうものを求め、しかも、自分でそれをある程度達成したら、ボランティアではないですけれども、それを、分け隔てなくというか、誰かに「見せる」形式で与えるという役目も、必要ではないかと思うのです。

(早川)「見る」ということはちょっと考えると、見てその一時だけ楽しむだけだと思われますが、実はそうではありません。見る人はする人と一緒になって新しいスポーツ文化をつくり出すんです。なぜならば、見るという行為そのものに、かなり重要な批評の行為が含まれるからです。変な技をやればたちまちブーイングが起こる。ファインプレーがあれば大拍手が起こる。ブーイングされるようなプレイヤーは二度と見に行きません。観客が離れてしまう。


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