PRIDEライト&シャドウズ


Pride Before the Fall (Sherdog)

PRIDE初の無差別級GP王者、マーク・コールマンにとって、東京ヒルトンホテルはいい思い出の場所だ。美味しい食事、美しい建築、試合前の数日間の緊張を癒してくれる雰囲気。

「で、ボスがそこの部屋で首を吊ったんだ。それで終わってしまった」

享年42歳、20003年1月9日に亡くなったPRIDE社長、森下直人の死因は明らかに自殺であったが、公式発表では愛人とのトラブルとされた。それは単なる、良きヒルトンの日々の終焉にはとどまらなかった。そのときから、創立6年のプロモーションは永久にそして決定的に、ヤクザと呼ばれる日本の組織犯罪と関わりを持つこととなったのだ。

「あの時点でPRIDEは犯罪組織に乗っ取られたのです」読売新聞社で10年以上にわたり、日本の組織犯罪を取材している Jake Adelstein 記者は語っている。「森下は殺害されたのではないか、偽装自殺なのではないかとの見方をする人は多かった。そのとき、ヤクザは介入することを決めたのです」

アメリカのマフィアとは違って、日本のヤクザは、いかさまのナンバーズ宝くじといった可愛らしい犯罪では満足しない。たくさんのファミリーが全国に散らばって、十分にたくさんのまともな企業との関係を持っている。その職種の広さのため、ヤクザは地球上でもっとも裕福な犯罪集団と言えるかもしれない。

Adelstein は、「かれらは世界最大の投資家集団であるとも言えるのです。ヤクザは大企業に投資しています。企業の中にはライブドアのように、後に上場を果たす企業もあります。投資資金源は、組織犯罪と結びついている消費者金融企業です」

1997年にKRSというグループがPRIDEを立ち上げた頃には、ヤクザとの関わりは場所代くらいなものだった。縄張りで興行を打つときには,場所代を支払ったり、特等席の招待券を渡す。ヤクザはまた、タレントエージェンシーとつながりを持っている。ということは、特定の試合の結果に特別な利害関係が生じることがある。プロレス出身の高田延彦の疑わしいパフォーマンスだけでなく、匿名の後援者がガイジン選手にアプローチすることは珍しくなかった。

日本サーキットのベテラン、ゲイリー・グッドリッジは、「日本で小川直也と闘った。誰かが自分の自宅や部屋に電話してきて、彼を勝たせてやれ、と言ってきた。そしてカネの話に入った。『勝たせてやるとしたら、いくらもらえるんだい?』。結局その金額は十分なものではなかった」と語っている。グッドリッジは、自分の敗戦はガチンコの結果だとしているが、選手の中には金を受け取ったものもいたという。

電話による嫌がらせは、ヤクザの典型的な手口である。Adelstein によれば、「暴力で脅せば警察に通報される可能性がある。大きなスキャンダルになるし、逮捕者が出る可能性もある。しかしカネの提供は脅しではない。それはあくまでオファーである」

森下氏が亡くなった2003年頃までに、ヤクザがPRIDEに期待することは、特等席の手配や、一部の試合の結果の操作にとどまらなくなっていた。2000年に行われた無差別級GPは大きな赤字を出したものの、その莫大な費用と引き替えにPRIDEは、日本で最も注目度の高いキックボクシング団体K-1の勢力を侵し始める。

「いつもの手口だ。ヤツらは投資をし、見返りを求めた。PRIDEが儲かるようになったとき、彼らはPRIDEを乗っ取ることに決め、どれくらい儲かるか見てやろうとしたのだと思う」と Adelstein は語っている。

「日本でヤクザに言い寄られることは、アメリカでマフィアに言い寄られるのとは違う」ヤクザ組織との関わりを公言しているハワイ生まれの日本人ファイター、エンセン井上は語る。「やることのレベルが違うんだ。日本でチケットを転売したり、中小企業からゆすり取っているヤクザにも、ハードコアな犯罪者風の男から、まともなビジネスマン風まで、いろいろいるんだ」

ヤクザが日本の大企業と幅広いつながりを持っていることは広く知られているが、この国にある種の盲点状況が存在することがさらに効果を挙げていると Adelstein は語る。「守らなければならない評判やイメージというものがある。他方で組織犯罪と関係があると言うことがみんなが薄々気がついている。そして一旦そのことが明るみに出ると、日本的な礼節がけじめを求めることになる」

それが明るみに出たのは、週刊現代が川又誠矢を引いて、PRIDEとヤクザに癒着関係があると報じた2005年の暮れのことであった。その後の報道で、川又が山口組のメンバーであったことも明らかになった。

川又は報道を否定し、報じたジャーナリストを訴えたが、時すでに遅かった。当時の社長、榊原伸行は繰り返し否定したが、2006年にフジテレビが手を引いた。興行の資金源でありファンへの窓口であるテレビを失っては、プロモーションは生き残ることは出来ない。

2007年3月27日、PRIDE運営会社DSEは、PRIDEをズッファに売却したと発表した。ロレンゾ・フェルティータはPRIDE存続を約束したが、結局今日に至るまで、PRIDEブランドでの興行は行われていない。フェルティータは後に、PRIDEの元オーナーに対して、信用調査と財務資料提出への非協力の咎で訴訟を起こしている。DSEもまた、フェルティータがブランド存続の約束を反故にしたかどで、訴訟を起こしている。

訴訟は未だ結審していないが、一つ明らかなことは、日本でのビジネスには、誰にも払えないくらいの金がかかるのかもしれない、ということである。

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The happiest man in the world because of Fedor losing is…(Fight Opinion)

・・・さまざまな意味で、ヒョードルの敗戦を歴史的に意味づけることができる。これまで、うまく終わることが出来なかった歴史の一章が幕を閉じたとも言えるのだ。

2003年当時、ミロ・ミヤトビッチはヒョードルとミルコという二大ガイジンを抱え、スーパーエージェントとして活動していた。ミロは実際、日本で弁護士としてしており、オーストラリア人脈にも強かった。来日したイアン・ソープに付き添ったこともある。

ミロはPRIDE時代の三大エージェントの一人であった。ほかの二人は、RINGS前田日明の元秘書で、BTTのマネージャだった内田統子と、シュートボクセの代理人川崎浩市である。

ミロは、ヒョードルとミルコのキャリアをかなりうまく扱った。

ところが2003年の大晦日がやってきた。アントニオ猪木がゲームに参加し、川又誠矢も参加して、日本テレビで猪木ボンバイエを開催した。PRIDEはフジテレビ、K-1はTBSで放送されていた。ヒョードルは結局大晦日に戦い、ミルコはミロを見限って、PRIDE社長榊原伸行に近いケン・イマイの元へと走った。ミルコは猪木のショーで高山善弘と闘うはずだったが、怪我を理由に撤退した。その後はご存じの通りである。

PRIDE内部では矢はすでに放たれ、政治的な非難中傷が当たり前の光景となった。ミロは、ミルコとヒョードルの戦いを見なければならなかった。最終的にミロは、PRIDE崩壊の原因の一つとなる。ミロに対する特定の人物からの脅迫や、ヤクザスキャンダルが明らかになったからである。ミロは渦中でさまざまな問題に巻き込まれることとなり、結局この業界から足を洗うこととなった。

私個人はヒョードルの敗戦を楽しんだわけではないが、ヒョードルを中傷する人たちが祝杯を挙げたくなる気持ちは分かる。PRIDE時代が終焉したという感覚である。PRIDE時代を生き、燃え尽きた人たちにとって、この敗戦は蜜の味であろう。

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