1995年の脅迫【ダナ・ホワイト半生記】


UFC117の大会前会見が行われた。アンデウソン・シウバはいつも通り、ソネンにからかわれ続けているお得意のピンクのシャツで登場。チェール・ソネンはややオーバーヒート気味。選挙で99.6%の得票率を得たことがあるとうそぶくチェールにたいし、「それは対立候補がいなかったときの選挙でしょう?」と記者に冷静に突っ込まれ、「その通りだ」などと答えさせられていた。レスリング・オブザーバは、アンデウソンは冷静を装っているが、実ははらわたが煮えくり返っているらしいとの噂を報じている。会見映像へのリンクはここに張ってある。

ソネンはさらに前日のネットのラジオショーで、なぜかツールド・フランス優勝選手ランス・アームストロング相手にプロモーションを切り、ランスは自身にガンを移植し、それで1500万ドルばかり金儲けをしたと無軌道発言。MMAメディアを超えた話題を呼んでしまっている。今日になってソネンはこの発言について、「あれば自分ではない。自分はあんなポルトガル語の訛りではない」などとひたすらにとぼけている。この項レスリング・オブザーバ最新号。

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Dana White’s billion-dollar baby (The Boston Globe)(抄訳前編)

ダナ・ホワイトのクルマの中。これから帰宅して食事をしようというその前に、ダナは留守電をチェックし始めた。

一つめのメッセージを聞いて、ダナは首を振って笑い始め、おまえさん、いいときにいたな的な視線を私に投げかけた。スヌープ・ドッグ(ラップミュージシャン)からのメッセージだった。ホワイトはスピーカーフォンをONにした。

「ダナ・ホワイトさん、「ランページ vs ラシャド」のチケットを取りたいんだが、部下が問い合わせたらもう売り切れなんだってな。私からあなたへ、あなたから私へ・・・ねえ、頼まれてくれよ。スヌープでした。」

ホワイトは大きな肩を揺らして吹き出した。そして、おやすいご用だという風に、電話を眺めた。ホワイトはいつも電話を見ている。運転中でもだ。交通事故の心配にまで頭が回らないらしい。

「スヌープと友達なんですか」と僕は聞いてみた。ダナは電話から目を上げて笑った。「そうなんだよ。俺も今知ったんだがな」。

・・・「マイク、元気かい?」

マイク・タイソンもチケットをほしがっているようだ。「何なりと言ってくれ、ブラザー。わかってるだろ」昔からのアイドルにホワイトは話しかける。

お次の電話は代理人のアリ・エマニュエルだ。そう、あのテレビドラマ「アントルージュ」のアリ・ゴールドのモデルとなっている人物、ホワイトハウスの首席補佐官ラーム・エマニュエルの兄弟だ。アリは電話には出なかったが、すぐにメールをよこした。レイカーズの試合を観戦中で何も聞こえないんだと書いてあった。

愛車レンジ・ローバーを駐車場に入れながら、スピーカーフォンをONにしてもう一本電話を掛ける。

「元気でやってたのか、この馬鹿野郎」声の主は俳優のデビッド・スペードだ。

スペードもしょっちゅう試合を見に来ている。ホワイトは、マンダレイ・ベイで金曜の夜に開くパーティに、スペードを呼び出したくて仕方ない。パーティにはギャヴィン・ロスデールのバンドが出演する・・・

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ホワイトの生まれはコネチカット州マンチェスターだが、子供時代はマサチューセッツ州ウエアで過ごし、その後ラスベガスで育った。子供の頃からボクシングファンだったが、最初は自分の攻撃性を正しく扱うことができなかった。怠け者というよりチンピラに近い子供で、同じカトリックの学校から2度退学を食らった(2度目の退学は、修道女の教室のドアを蹴り続けたためだった)。卒業したのは、おじいさんが住んでいたメイン州の高校だった。その後ベガスに戻ったが、看護婦の仕事をしていた母親がボストンに引っ越したのについて行くことにした。ボストンのFaneuil会館でドアマンの仕事を得たが、喧嘩をしてやめてしまい、その後は道路舗装の仕事をしたり、ボストン・ハーバーホテルのドアマンをしたりしていた。そこそこ稼げてはいたが、ボクシングへの熱冷めやらず、サウジー出身の伝説のボクサー、ピーター・ウエルチを訪ね、トレイナーとして雇ってくれと頼みこむ。ウエルチは最初、この男とは関係を持つまいと思ったという。

「ファイターになりたいと言って、私のところにやってくる若者はたくさんいた」とウエルチは振り返る。彼はいつも、そんな若者をリングに上げ、何発かのパンチを当ててやった。ほとんどの人は二度と戻ってくることはなかった。「でもダナ・ホワイトは違っていた。アゴに一発食らったときから、何かを持っていることは明らかだった。」

サウジーの裁判所の裏にある、マクドーナー・ジムという古いボクシングジムで、二人は練習を重ねた。ホワイトはリング上やコーナーを自分の学校だと定めた。ホワイトはマサチューセッツ大学ボストン校を、数回授業に出ただけで退学している。「大学に行ってはどうかといつも言われる。自分は(ジムでの経験は)”南ボストン大学”卒業に匹敵すると思ってるんだ。そこでファイトビジネスについて学び、自分の居場所を確立した。サウジーについてはいろんな話が出来るけど、とにかく、サウジーのストリートは、ハードコアだった」

生活の糧とするため、ホワイトはウエルチの元でボクシングのプライベート・コーチとして働いた。当時はボクササイズが流行り始めていた。車を買うことも出来なかったホワイトは、雪の日でも、30キロ以上もあるボクシング用具を背中に担いで、雇ってくれる場所があればどこにでも、マウンテンバイクで駆けつけた。

やがてホワイトは、ボクサーになる夢をあきらめ、トレイナーに専念するようになる。そんな1995年のある夏の日、ホワイトがサウジーのボストン・アスレチック・クラブで教えていたとき、二人の男がやってきて外へ出ろと言った。アイルランド系のギャングだった。

「詳しい話の内容はよく覚えていない。ただ要するに、カネを返せと言うことだった。どうして自分をつけ回すのか、ホントの用件は何なのか。なんにせよ、自分のことを脅したりゆすったりするのは、なんだかちょっと妙な話だなと思った。何千ドルか取りたいようだった。そんなカネはない、と答えたら、なら、おまえの女から取ってこいといわれた。彼女もそんな金は持っていないと答えると、奴らは、頭を使えよ、と言った」。

数週間後、「土曜日までにカネを返せ。返さなければ殺す」との脅しの電話が入った。

ホワイトは犬の散歩に出かけた。あのときの感覚は消して忘れない。肩越しに周囲を用心した。怖くて怖くて、気が狂いそうで、孤独だった。そんな金額を払えるわけもないことは明らかだった。アパートに戻ると、すぐに荷物をまとめて、ベガス行きの飛行機に飛び乗った。


・・・「こんなことも理由があって起きるんだ。運命というものがある証拠だよ。サウジーでマウンテンバイクを乗り回して、主婦やサラリーマンや子供にボクシングを教えていたガキが、街を出ようと決意するほど脅されるなんて、ふつうじゃあり得ないだろう。」


・・・ラスベガスに戻って、ホワイトは再び、ボクシング・トレイナーとして働いていた。ある夜、高校時代からの友達二人と歩いていたら、あるUFC選手と出くわした。彼らは、UFCについて教えてくれと頼んだ・・・ホワイトはMMAに入れ込み始めた。「世界最強の男は誰だ?この競技は、そんな究極の疑問への答えなんだ」。そして初期のスター選手、チャック・リデルとティト・オーティスのマネージャに就任する。2001年、ホワイトは、UFCが倒産寸前であることを知る。そこでその高校時代からの二人の友人、ロレンゾとフランクのフェルティータ兄弟が200万ドルでUFCを買収し、ホワイト自身が社長になり、10%の株式を持つ、という取引をまとめ上げた。

・・・4年たってもUFCには4400万ドルの赤字があった。会社をたたむ話も売る話もあった。ところが、ふたつのことが好転し始めた。ひとつは、選手の安全を考えたルール改正のおかげで、いくつかの州や国で競技が合法化され始めたのだ・・・そして本当のターニング・ポイントは、1995年にスパイクTVを説得して、ジ・アルティメット・ファイターを放送させたことだった。制作費は自腹だった・・・


(訳注)レスリング・オブザーバによると、ホワイトがギャングに脅されてベガスに出てきたという話は、これまでにも本人が繰り返し語ってきた有名な話だそうだ。真偽については確かめようもなく、確かめた者もいないとのこと。記事後半の抄訳はたぶん明日アップ。


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