JUDO界の最初の黒船、アントン・ヘーシンク


レスリング・オブザーバ9月8日号の、故アントン・ヘーシンク氏追悼記事より、興味深い節を抄訳。NHKの「柔の道」にも、ヘーシンクの映像がちらっと出てきていました。

(quote)
ある意味では、ヘーシンクの強さが、五輪競技としての柔道を変えてしまった。欧州諸国は実は日本に先駆けて、1950年代から、柔道の五輪競技化を推し進めようとしていた。しかし袋小路にはまりこんでいた。五輪委員会は、無差別級のコンバット・スポーツなど、認可したくなかったのである。日本の柔道関係者は、柔道はあくまで技術とレバレッジのスポーツであって、身体の大きさは関係ないという考えに固執していた。レベルの高いトレーニングを積んでいた小柄な日本人選手は、国際戦でたしかに勝利をあげ続けていた。

1958年に、東京五輪(64年)が決定した。日本は直ちに、五輪での柔道の公式競技化を申し入れた。そして60年にローマで行われた五輪国際委員会で、柔道は「オプショナル競技」として認められた。五輪で柔道を実施するかどうかは開催国が都度決定するという意味である。実際に68年のメキシコシティ大会では柔道は行われなかった。しかし72年のミュンヘン五輪以降は、途切れることなく継続されている。階級制については、すでにアメリカやヨーロッパでは標準的なものとなっていたが、当時の日本の保守派は依然として反対していた。

そんな日本の保守派が折れて、階級制の大会が開かれるようになったのは、1961年の世界選手権におけるヘーシンクの圧倒的な強さのせいだった。日本の関係者が密かに考えたのは、ヘーシンクのような体格と能力を持つ選手が五輪に登場するとなれば、日本はお家芸柔道で無冠に終わるのではないかとの懸念であった。自国開催五輪でそのようなことになれば、大きな恥となる。日本は当初、3つの階級を提案した。逆に欧州諸国の中には、無差別級を主張する国もあった。ヘーシンクが優勝したのは無差別級だったからである。

ただし日本の関係者は、階級制で妥協する一方で、ヘーシンクの五輪出場を食い止めようとした。ヘーシンクが、柔道の指導で金銭を受け取っていたことが発覚したのである。これは、当時の五輪のアマチュア・コードに違反することであると思われた。日本の関係者は、そこを問題にすれば、実は日本の多くのトップ選手も出場停止になる可能性があることはわかっていた。それでも、日本の選手層は厚いので、仮に二線級が出場しても、各階級で金メダルを独占できると考えていたのである。しかし、このときの五輪委員会での検討の結果、プロとして試合をしていない限り、指導料を受け取るだけでは、アマチュアの定義には反しないとの裁定が下されることとなった。

ヘーシンクは結局、世界選手権に続き、東京五輪でも金メダルを獲得した。ブラジルで開催された翌65年の世界選手権では、ヘーシンクは日本の新生、坂口征二を重量級の試合で下した。しかし、68年メキシコ五輪で柔道が採用されないことを聞いたヘーシンクは、67年には柔道を引退し、石油会社を設立した。

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ヘーシンクと契約していたのは、馬場ではなく、実際のところは日本テレビであった。毎週のプロレス中継のメインイベントにセレブを登場させ、新団体全日本プロレスをもり立てようというアイデアであった。

1973年9月に日テレはヘーシンクと、年間10万ドル以上で契約を締結。これは当時のプロレスラーとしては世界最高の額である。トレーニングはアマリロのドリーファンク・テリーファンクの元で行われた。ヘーシンクのプロレス入りは日本では非常に大きく報じられた。73年10月9日の国技館大会では、リングに初登場し挨拶を行っている。ちなみにこの大会では、アマレスでミュンヘン五輪に出場した鶴田友美もデビューした。

実はその数週間前、ヘーシンクはアマリロでプロレスのデビュー戦を行っていた。ドリーは、「この年齢で、全く新しい職業を始めることは、彼にとって厳しいことだった」と語っている。

・・・病気の奥さんの医療費を稼ぐ必要にも駆られていたヘーシンクは、39歳で日本デビュー戦を迎えた。73年11月24日国技館大会である。ヘーシンクは馬場とのタッグで、ブルーノ・サンマルチノ、サイクロン・ネグロ組と対決、2本先取で勝利を納めた。二本目にはヘーシンクがネグロからトーチャーラック(アルゼンチン・バックブリーカー)でギブアップを奪っている。とはいえ、練習期間2ヶ月、試合数数試合では、リングの中で出来ることは非常に限られていた・・・

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● すでにあちらこちらで既報のとおり、ジョシュ・バーネットがストライクフォースと複数試合契約を締結。ジョシュの試合を見れるのはうれしいニュースではあるが、最初の試合はどうなるのか、ステロイド・ポジティブでライセンスを持っていないはずという問題はどうなったのか、追加情報がほしいところだ。オブザーバーは、交渉には2ヶ月以上かかっていたと報じている。他方で MMA Weekly が、ヒョードルの次戦は12月のアントニオ・ビッグフット・シウバ戦が濃厚と報道。はっきりいってヒョードルの次戦については、M-1・ストライクフォース両陣営の駆け引きのような発言ばかりが相次いで神経質に報じられ、「もはやどうでもええわ」とだんだん白けてくる感もあるのだが、ヴェウドゥムにリベンジもしない、アリスターに挑戦もしない、ジョシュとやり直すわけでもない、そのすべてを回避して、ビッグフットと戦うというのは、「誰も不満に思わないが、誰も満足しない」妥協の産物であるような気がしてならない。まるで日本の大企業みたいな、つまらない決め方だ。こういう試合は、得てしてヒョードルがコロリと負けたりするような気もするし、ここで負けたら前述の3カードへの興味が希薄化するばかりである。


●11月のUFC123で、「BJペン vs マット・ヒューズ」が決定。ペンの次戦はどうなるのだろうと思っていたが、はっはー、なるほど、うまいことを考えるものだよねえ。両者はこれまで1勝1敗。


●Shine Fights 13 で敗退したキース・ジャーディンの弁。Bloody Elbow

出だしが動けなかった。これまで敗戦の言い訳などしたことがないが、試合前に史上最悪の偏頭痛に見舞われていた。2Rが終わるくらいまで影響があって、触られただけでも痛い有様だった。歯を食いしばってがんばっていたら、3Rには少しすっきりしてきて、うまくやれるようになった。でも試合に勝てるほどではなかったみたいだ。


>ジャーディンは偏頭痛持ちだったのか・・・僕も大学生の頃からずっと偏頭痛持ちです。辛いのはよくわかるし、絶賛頭痛中に試合だなんて、悪夢中の悪夢。でも、偏頭痛持ちの人は、実は頭痛が来るのがほぼ確実にわかるから(ちょっとした体の変化の前兆がある)、気がついた時点で鎮痛剤を飲めば、計画的に回避できるはずなんだけどねえ・・・試合前だとアスピリンも飲んじゃいけないのかな。


諏訪魔の非紳士的行為に注意と減給=全日本プロレス(スポーツナビ)

事の次第は報道では読んだが、映像は見ていないので、なんともわからない。「非紳士的」という言葉がちょっと気になったのだが・・・プロレスラーは非紳士的なのが仕事だろう・・・、これは全日本プロレスからのリリースに使われている言葉ではなく、見出しをつけた人が選んだ言葉のようである。

外向けの処分と内向けの処分が、うまく使い分けられていることを願う。


9.25「GENOME13」対戦カード発表(IGF公式)
実際に観戦すると、ほぼ確実に何事も起きないんだろうけれども、カードだけを見ていると、恥ずかしながら、なかなかに魅力的に見える・・・アメリカでPPV放送したら、3万人くらいが間違って購入するかもしれない。
小川直也はやっぱり、どうして俺のギャラがシルビアより安いんだよ!なら俺もフリーになってやるよ、といったところなのかなあ・・・


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