ケイン・ベラスケス伝説【メキシカン・ヘリテイジ】 

(抄訳)私がケイン・ベラスケスのことを知ったのはほんの4年前のこと、2006年のNCAAレスリング・トーナメントが終わって彼がサンホセに来たときだった。

ジムでのこの男の、疲れを知らぬすさまじいレスラーぶりの噂はすぐに広まり始めた。トレーニング・パートナーは、かつてUFCやストライクフォースでヘビー級のタイトルコンテンダーであったポール・ブエンテロだったが、最初からベラスケスは、有名選手であるブエンテロを投げつけまくっていた。もともとストライカーのブエンテロにとって、ベラスケスとのスパーリングは、ほとんど打撃の練習にはならなかった。ある日ブエンテロは、これからはテイクダウン無しで練習しようじゃないかと提案した。ベラスケスにはスタンドの練習が必要だと言いくるめたが、あまりにやられっぱなしだったので仕返しの意味も込められていた。しかし数ヶ月後には、ベラスケスは彼をスタンドでも圧倒するようになってしまった。こうして「モンスター・ベラスケス」はジム内で伝説的な存在となった。彼とスパーリングしたことは名誉なことだと思われるようになった。ほとんどの選手はこっぴどくやられたが、サバイバル出来ただけでも尊敬されたのである。

ベラスケスは最初の数年でたった2試合しかできなかった。いったん試合に合意した選手も、うわさ話を耳にすると、嘘か誠か、怪我を理由に身を引くようになった。怪我などの理由をでっち上げることすらしない選手もいた。ベラスケスは最初はストライクフォースに参戦することになっていたのだが、結局スコット・コーカーは対戦相手を見つけることが出来ず、一試合もしないままに終わった。ジム内では、この男こそ数年後にヒョードルを倒すのではないかと言われていた。トレーナーのハビエル・メンデスは、ベラスケスのことを、「アメリカン・キックボクシング・アカデミーの敷居をまたいだ最強の選手」と呼ぶようになった。BJペンやリョート・マチダ、フランク・シャムロック、カン・リー、ジョシュ・コスチェック、ジェイク・シールズ、ジョン・フィッチ、ギルバート・メレンデスといった面子もいることを思えば、ずいぶん大胆な発言だった。ベラスケスがまだ誰とも闘っておらず、誰にも知られていないときに、そう言ったのだ。

2008年初頭、キャリアわずか2戦で、誰の予想よりも早く、ベラスケスはUFCと契約した。そうでもしないと対戦相手がいなかったのである。ところがUFC契約後も、同じパターンは続いた。ジェイク・オブライエンをぶった押した後は、試合を組むのが難しくなってしまったのである。ジョー・シウバは、ベラスケスの経験値を考慮して、まだトップ選手とはあてたくなかった。でも対戦相手は誰もいなかった。デニス・ストジニックがUFCに参戦できたのは、ベラスケスとの対戦を受諾する選手探しがユーゴスラビアにまで及ばざるを得なかったからである。とはいえ、チーク・コンゴ戦で人間らしい姿を見せてからは、彼自身が有名選手へと卒業することが出来たのである・・・

・・・メキシカン・チャンピオン候補としてのベラスケスのマーケティングに対する反応は興味深いものだった。メキシコ系アメリカ人のコミュニティ向けにも、大量のテレビCMが流された。ベラスケスのことを知らない人も、UFCをちゃんと追いかけていない人も、レスナーを知らない人までもが、とにかくメキシコ人がはじめてヘビー級のチャンピオンになるかもしれないと言うことを知ることとなった。この大会の認知度は非常に高まった。UFCを見たことのないおおぜいの人も関心を持った。バーやシアターにも過去最大級の集客があったが、メキシコ系アメリカ人がたくさんいた。このファン層にはとても熱心なボクシング・ファンやプロレスファンが多いため、UFCとしても是非取り込みたかったのだが、これまではうまくいっていなかったのである。30年ほど前に、ドリー・ファンク・ジュニアが私に教えてくれたことは、今日の格闘技にもあてはまる。少数民族の選手のカードを組むだけでは何の意味もない。トップにおかなければ、火はつかないのである。人はチャンピオンを見たいのであって、何となく身近な存在が出場しているだけでは足りない。UFCはロジャー・フエルタでこのことを試した。フエルタにはスター性もあり、売り込めるライフストーリーにも事欠かなかったが、チャンピオンレベルの選手ではなかったために失敗した。ティト・オーティスでも試したが、独特のインチキくささがあって支持されなかった・・・

(出所)レスリング・オブザーバー 11月1日号



(抄訳)メキシコ人、およびメキシコ系アメリカ人は長年にわたって、ボクシングのとても熱心なファンベースであり、ボクサーを自分のことのように誇りにしてきた歴史がある。実際にどちらの国で生まれたのかはほとんど関係がない。より大切なのは、彼らが期待する「メキシコ人らしさ」を持っている選手なのかどうか、ということである。

1996年のスポーツ・イラストレイテッドにはこんな記述がある。

オスカー・デラホーヤは、彼がどれほど切実に求めても、メキシコ系ファンの絶対的な支持は得られないだろう。彼のチームカラーは、半分が星条旗で、半分がメキシコ国旗である。でも国籍が問題視されているのではない。デラホーヤの価値観はもはや頑固なまでに都会的なのであって、荒っぽいヒスパニック・カルチャーとは相容れない。ゴルフでもしてれば?建築でも学んでいれば?28歳で引退すれば?といったところである。

「自分は打たれないタイプの選手だ。カットされることもない。だからファンには受けない。傷だらけになって、ぼろぼろにされて、いかにもファイターのように見えれば、ウォリアーとしてもっと応援してもらえるのだろうが」



ケイン・ベラスケスの勇敢でまっすぐな闘いぶりは、メキシコ系のボクシングファンが長く愛でてきたスタイルに合致する。UFCはとてもうまい状況をつくって、観客を取り込むことが出来ている。会場からの報告では、UFCはこの情熱的なファン層を燃え立たせ始めることに、かなり成功しているようだ。

ケイン・ベラスケスの売り込みにとどまらない、長期的な戦略もある。ボクシングはすでにラテンコミュニティの文化の一部になっている。フリオ・セサール・チャベスと言った選手は、ただの選手ではなく、すでにアイコンであり英雄である。チャベスを倒そうとするデラホーヤは、ラテンファンの目からは敵なのである。

(出所)UFC 121 Recap: Cain Velasquez and Mexican-Americans in Combat Sports History (BloodyElbow)

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プロレスマニアのUFC前座戦士、トム・ローラーは、UFC121でカットファイトに臨み、パトリック・コーテを下して命拾い。ソース

Q おなじみの入場がなかったじゃないですか

A 過去のスパイクTVを見ていると、入場シーンはどうせカットされるみたいだし、そもそも入場のせいでスタミナを消耗してしまっていたんだ。入場が終わると1R戦ったくらいに疲れていた

Q ギミックはもうおしまい?

A これからはもうちょっと静かにやろうと思うよ。クレイジーに踊るホーガン風じゃなくて、ライトを消してゆっくり登場するアンダーテイカー風でやれば、動悸も高まらないしね。

Q これからは保守的にやっていこうと言うこと?

A その通りだ。保守と言えば、前回ファイト・オブ・ザ・ナイトのボーナスをもらったとき、民主党政府は税金をたくさん持って行きやがった。だからこれからは保守を応援することにしたんだ。選挙もあるんだろ。だから応援のつもりで保守的な試合をした。

Q ストライカーのコーテをグラウンドに引き込んでいました。

A メディアでは事前にいろいろ喋ったけど、レスリングでは僕の方が強いから、単純にグラウンド勝負でいくつもりだったよ。ケベックだかモントリオールくんだりから飛んでくるヤツの右のパンチを防ぎたかったからね。

Q その二つは全然違う場所です。

A ええ?ああ、わかってるよ。

Q このアメリカ人め。

A ああ、あんたはカナダ人だったね。カナダは大好きなんだ。ティム・ホートンのドーナツなんかは最高さ。

Q 試合前にはカットファイトのプレッシャーを感じていた?

A すごいプレッシャーだったよ。他団体に放り出されるところだったからね。最高の試合が出来るよう集中した。

Q もうしばらくUFCでやれる自信ができた?

A そうだね。ブーイングも食らったけど気にしてないよ。気にしてないというのは、政治的に正しい発言ではないけれど、失業がかかっている以上、気にしていられないよ。

Q 前日計量でアート・ジマーソンのマネをしていたけど。

A みんなはキモをやれといってたんだが、僕はジョー・サンをやりたかったんだ。すごいキャラクターだからね。でも誤解する人もいるだろ。セロテープで目をつり上げようとしていたんだぜ。コリアン・トップ・チームの人たちもいたから悪いかなと思ってね。桜庭もできるよ。あの自転車だか三輪車だかに乗るヤツをね。誰も敵にまわしたくないからね、いろいろ気を遣うよ。



これがアート・ジマーソン?よくわからんが・・・



(参考)モー娘。の場合

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「魔術師」カーペンティアさん死去(日刊スポーツ)


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